「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

わあ好き!と思った事を書き殴るための場所です。書いた私も「正しさ」は信じていません。

SHOCK eternal 感想&考察

初めて劇場で生で見れた eternal。その感想ブログです。普段気ままにブログ書くんですが、これに関してはプロット書いてしまったくらいほんとに本気です。(とか言ってすごいぐだぐだの駄作になったらごめんなさい)

 

SHOCK歴としては、昨年の2月に初めてSHOCKを見て秋にeternalの配信を見て今年の2月に本編の映画を見てからeternalを帝劇で見ることができました。

(過去のブログはこちら

Endless SHOCK 20th 2月9日公演 感想(ネタバレ多目) - 「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

Endless SHOCK -Eternal- 10月4日配信公演 感想 - 「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

Endless SHOCKを映画館で観た話①(ネタバレあり) - 「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

昨年のSHOCKから今年のeternalまでご縁があったこと、本当に嬉しく思います。その全てが、タツヤとリカをはじめとしたほとんど同じキャストで見ることができたことも。本当に幸せだなあ。

そんな私の本編&eternalの感想です。

 

まず感じたのはeternalぜっったい見たほうがいいということ。本編とeternalの両方の統合が完全版というか、eternalを踏まえて本編があるし本編を踏まえてeternalがある。本編での違和感、不思議なところ、全部解消されるので本編しか見たことない人、28日に配信があるので皆様それを是非見てください!!!!

 

予告編はこちら

【3/28(日)17:30開演】「Endless SHOCK -Eternal-」帝国劇場より生配信! - YouTube

良い…こんなん見るしかない…!

 

SHOCKの映画でSHOCK沼に入った人とか本編だけ見たことある人は、この配信公演でeternalをぜひ見てほしい。本当に良いので。(語彙がなさすぎる)

何が良いかはこの後散々書いてるんですが、どうしたってネタバレになるので、ネタバレ見ないタイプの人はここで下のリンクからチケットだけ買ってこの記事は閉じてください。よろしくお願いします。

チケット購入はこちら

Endless SHOCK -Eternal- | Johnny's net オンライン

 

配信公演の予定が合わない方や、配信が終わった後にこの記事を見つけてくださった方は…どうしよう…

eternalを円盤化や映画化してくれたらeternalを見れるんですが、お偉い方々、どうでしょうか…

 

 

 

 

さて。本題に入ります。

この先、本編のネタバレもeternalのネタバレもめっちゃしてるので無理な方は即閉じてください。

あと、この記事はeternalと本編の総合でストーリーを捉え直して考察しているので両方とも見たことある方がわかりやすいと思います。

先ほど配信公演をお勧めしましたが(私も見ますが)、これは配信ステマ記事ではなくあくまで帝劇eternalを見て考えたことを描いたブログです。劇場で見るときならではの感想も書いてます。配信公演で確認できない(かもしれない)ところについても言及してます。ご了承ください。

最後の方はすごく偏った考察をしているので合わなければすぐ閉じて忘れてください。

 

SHOCK eternalについて私が書きたいことを書きたいだけ書いた記事になっております。

 

 

目次  SHOCK &eternalについて

・劇場で生で見れる!

・舞台設定と演者本人や現実世界のリンク

・本編との整合性

・裏設定の暴露

・光一の霊体は2種類ある

 

 

 

・劇場で生で見れる!

眩しい。帝劇でまず感じたのはそれでした。眩しいことがこんなに嬉しいなんて。

映画では照明のライトが観客に当たるなんてことはないから、照明の眩しさを一年ぶりに感じて胸がいっぱいになってしまいました。光一さんが演出したレーザーを浴びれる幸せ。

映画では照明とか舞台演出面があまり見えなくて、どちらかと言うと登場人物の心情に着目してた(おかげでストーリーの深いところまで理解できてとてもよかったです)から、舞台で見た時のの照明の豪華さに感動していました。

拳銃シーンの火薬の匂いにも感動してしまった。劇場で見ると五感で体感できるんですよね。ああ、そこにいるんだって。

でも殺陣とか階段落ちのときはほぼ映像なので、帝劇で映画見てる気分になりました。なんて贅沢なの…

本編映画と帝劇の本編見た人間からするとSHOCKeternalは、映画と舞台のいいとこ取りの作品なので「映画とても良かったけど舞台も気になる」「本編の舞台良かったけど映画も気になる」という人にドンピシャで見てほしい。なんと3月28日に配信決定!!(何度でも言う)

Endless SHOCK -Eternal- | Johnny's net オンライン

1ミリでも気になってる人は見て〜!!!

もちろん来年以降もeternalやってほしいし、せめてeternal映画化&円盤化して欲しい。色々難しいだろうけど、願うのは自由だよね…!

 

 

・舞台設定と演者本人や現実世界のリンク

そもそもSHOCK20th(ライバルがタツヤのSHOCK)がめちゃくちゃ堂本光一上田竜也の物語を描いてるじゃないですか。

上田くんは「2003年にKAT-TUNとしてSHOCKに参加して、そこから数年共演がなくなってからの、今回ライバル役に抜擢されて再会」という経緯があるんですが、それが“コウイチにとにかく突っかかっていたのに、コウイチの死後1人で努力してステージを守り、幽霊となったコウイチに再会できたタツヤ”に見えて仕方がない。

上田くんの1度目のSHOCK(2003年)では上田くん曰く「クソみたいなプロ意識でやっていた」らしく、わざと稽古に遅刻したり、衣装もろくに着ないで、わざととちったりしていたらしい。まんまタツヤじゃん。一幕のタツヤじゃん。solitary出とちってJapanesqueで刀放り投げるタツヤじゃん。対する光一さん側も、本人曰く「俺もトガっていた」から怒鳴ってしまうこともあったと。それはもうオンの公演の幕間のコウイチじゃないですか。

 そして、SHOCK20thの製作発表では「上田、成長したね!」と光一さんが声をかけてるんですよね。つまり、光一さんにとって上田くんは昔はクソ野郎だったのにしばらく会わないうちにすごく真面目になった存在なんですよね。それはもうタツヤじゃん…  だって、コウイチからしたらなんだよあいつと思いながら病院で寝て、起きたらめちゃくちゃShow must go onを身につけたタツヤがいるわけでしょ。

そういうわけでどうしても私はSHOCK20thを堂本光一上田竜也が2回SHOCKで共演したこととリンクさせて見てしまうのです。

Ride on timeのSHOCK回でも、タツヤとコウイチの口論は“コウイチもおかしい”という描き方であることを話しているのですが、これはKAT-TUNが出てくれていた頃の“オレも尖っていた”光一さんを投影しているからなのかな…とも思ったり。

2人以外で言うと、ミナトくんがかなりタツ兄を慕っているらしく、千秋楽のシーンでタツヤに椅子くるくるされるのがミナトなのは必然なんだな…と思いました。かわいい。

あとは昨年のeternal配信感想にも書きましたが、コウイチカンパニーがコウイチの死後にコウイチを除くメンバーで集まる時の「再会を喜ぶも不完全な再会に寂しさを覚える」感覚が、我々がコロナ後にeternalでSHOCKに再会している感じのリンクになっているのが最高です。コウイチ自身がeternalという作品のメタ的な存在になるなんて誰が想像した…??

 

 

・本編との関係性

光一さんは最初からeternalを公演するつもりでSHOCK本編を作っていたわけではないと思うんです。

でも、eternalには外伝やスピンオフにありがちな「後付け感」「つぎはぎ感」が一切ない。eternal見てから映画見てもしっくりくるし、なんなら伏線回収したような気持ちよさがある。

多分光一さんの中でSHOCKの裏設定とかはすでに全て決まっていて、eternalは「もう決まっている裏側の物語をどこまでどうやって見せようか」という挑戦だったんだと思うんですよね。すごい。これが本当にすごい。

あと、eternalは単なる「続き」ではなく「あの時の裏側」を描いたことがミソですよね。これによって本編←→eternalの往復が可能になるんです。本編見たらeternal見たくなるし、eternal見たらもう一度本編を見たくなる。

これは将来的にまた本編の公演に戻れる時を見据えてこのようにしたのだと思うのですが、本当にすごい。

続きものだったら、2を見て1を見たくなることって(伏線確認以外では)ほぼないと思うんです。(少なくとも私はそう)

でもスピンオフなら何度でも本編と見比べやすい。続編ではなくスピンオフを作ってくれたこと、本当に素晴らしいと思います。

 

 

・裏設定の暴露

この作品(eternal)の裏の肝はSHOCK本編に潜んでいた“3年間のひずみ”の存在の暴露だと思います。これを核にeternalの物語は動いていきます。

実は、SHOCK本編でなぜ、大桜の後ダメ押しのようなcontinueがあるのか、ちょっと気になっていました。大桜で終わってもいいんじゃないのかなって。

でも今回eternalを見てわかった。continueがある理由、それは、その間に3年が経っているから。continueが2度目の成仏のシーンだから。大桜の時点のカンパニーでは終われないから。3年後のあのcontinueをもって初めて、SHOCKは幕を下ろすことができるから。(詳しくは後述します)

やっぱ、SHOCKに無駄なシーンなんて何一つないんだな。「あるとより豪華」ではなく「不可欠だから」全てのシーンがあるんだな。

 

あともう一つの裏設定、コウイチはジャニーさん、タツヤは光一さんのメタファーだというお話。この裏設定もひっくり返りましたよ。だって、光一さんのジャニーさんへのリスペクトと愛の片鱗は知っているから。どれほどジャニーさんを慕っていたか、ひよっこファンの私にも少しはわかるほどだから。それを思えば、タツヤの、コウイチへの感情の厚さを少し想像できてしまったから。タツヤの感情の「重み」は上田くんがしっかり芝居で我々観客に見せてくれるのですが、真正面から見せてくれるおかげで、その感情の「厚み」は知らなかったんですよ。でも光一さんのジャニーさんへの感情を重ねていると言われてしまえば、その厚みが想像できてしまって。とんでもなく厚いじゃないですか。そうか、タツヤ、そんな思いだったのか…。そして光一さんもそんな思いだったのか…。互いに補い合って両者の気持ちを想像してしまって胸が痛い。

そして、抱えるのがやっとなほどの激重な思いを、彼は作品にしてエンターテイメントにしてしまっているんですよね。そのことにもまた圧倒されてしまう。只者じゃないにも程がある。

タツヤが堂本光一でコウイチがジャニーさんならリカは誰のメタファーかな…

 

 

・光一の霊体は2種類ある

さっきちらりと「2度目の成仏」と書きましたがその話です。

eternalでクローズアップされた3年間により、コウイチの成仏は2度あり、コウイチの霊体が2種類ある、ということが間接的に明かされたと思います。このeternalの裏の裏の肝はここだと思う(それはもう表だというツッコミは無しで)

1種類目の霊体は、Japanesqueで殺された後のコウイチ。みんなが見ることができるけど触ると冷たい、あのコウイチです。最後のショー(夢幻や大桜)で燃え尽きるまで、この霊体です。最後のショーで、コウイチは1度目の成仏を果たします。この時コウイチは完全に成仏したかに見えていました。しかし、eternalで明かされる話で、そうではなかったことを知るのです。最後のショーの後からcontinueまで(3年間のひずみ)のコウイチの霊体は、本編2幕頭〜大桜の霊体とは性質が少し違います。そこでこれを「2種類目の霊体」と呼ぶことにします。

2種類目の霊体は、SHOCK本編で言うとcontinueのコウイチです。この霊体が1種類目の霊体と最も違うところは、「この霊体はタツヤしか見ることができない」ところです。2種類目の霊体は他の人には見えていない。

continueでは、タツヤだけが目線でコウイチを追い、最後にコウイチとタツヤでアイコンタクトを取る。そして百合の花束を受け取ったコウイチは2回目の成仏をする。

本編の映画でもeternalでも、continueでコウイチと目が合うのは(私が幻覚を見ていなければ)タツヤだけでした。これは衝撃でした。

 

では、なぜコウイチの霊体は2種類あるのか。なぜコウイチは2回成仏するのか。クリエイター側からすれば、話がややこしくなるので成仏を一度にまとめてもよかったはず。しかし最後のショーで完全に成仏せず2種類目の霊体として下界にいたのはなぜか?色々考えたのですが、最終的な私の見解はこうです。

 

1度目の成仏でコウイチは完全には成仏できなかったから。

 

 

 

 

 

ん???って感じだと思います。

私も今、この記事をここまで読み返してナンジャコリャと思ってます。ここからどうにか頑張って説明するのでもうちょっと読んでください。

 

さて、そもそも、肉体の死で完全に死なず霊体として下界にいるのは、なんらかの未練ややり残したことがあってどこかの部分が成仏できていないからだと思います。

コウイチもタツヤに刺された時点ではやり残したことがあって成仏できなくて幽霊として下界にとどまった。そしてラストのショーでその未練が晴らされた時、コウイチは成仏した。しかし、1回目の成仏で成仏しきれなかった部分があった。だからこそ2種類目の霊体として3年も下界にとどまった。

では、あのショーの時点では何が成仏しきれなかったのか?

私はそれは、「1人の人間としてのコウイチ」ではないかと思うのです。

 

コウイチは生前から割と自分が人間であることを忘れているような節が多々あって、自分のことを「エンターテイナー」としてしか見ていないんじゃないかな…と思います。自分が誰かからエンターテイメントを抜きにして信頼されていること、愛されていることをすっぽり忘れているような気がして。

もっと言うと、他者すらも人間としてではなくエンターテイナーとして評価してしまう節がある。オーナーのことを尊敬しているのも過去にオーナーが素晴らしいエンターテイナーだったからであり、リカの恋心に応えるのが下手くそなところもコウイチの物差しはエンターテイメントしかないからではないでしょうか。(もちろんその判断基準が全てではないだろうけど、少なくとも彼の自意識の中でメインの尺度はエンターテイメントだと思います。)

ちょっと話がそれますが、「神様のカルテ」に、「医師である前に人間です」という私の大好きなセリフがあります。このセリフの言わんとするところは、全ての人は、役割の前にまず人間であり、人間性があって然るべきだということではないかと思います。

きっとSHOCKの世界でコウイチにそれを言ってくれる人がいなかったんですよね。「コウイチは、その仲間は、エンターテイナーである前に人間だ」と。

 

ああ、ここでコウイチが孤児である設定が活きてくるのか…!コウイチの所属するコミュニティをオフの劇場に絞ることで、コウイチの判断基準をエンターテイメント一本に絞ってる。リカはオーナーという親がいるし、タツヤはパンフでも触れられてたけど劇場じゃない仲間とのコミュニティがあるらしいからそこでエンタメとは違う尺度を学んでるんだと思う。でもコウイチにはエンターテイメントの他に何もなかった。コウイチは有り余るほどのエンターテイメントの才能を与えられた代わりに、他の世界を与えられなかった。(マジで無駄なところ何もないなSHOCK…!!)

 

そうした出生もあり、コウイチは自分のことを「エンターテイナー」でしかないと思っているから、1回目の成仏はエンターテイナーコウイチの成仏に全振りしてるんですよね。エンターテイナーとしての未練、エンターテイナーとしての心配、そういったものを晴らしに下界に来ている。

 

1種類目の霊体(2幕頭〜大桜)が下界に止まっていたのは、カンパニーのみんなに「Show must go on」を言うため。カンパニーにまたショーを楽しみエンターテイナーとしての息を吹き返してもらうため。自分の死でエンターテイメントを止めないため。これらはつまるところ、「エンターテイナーの未練」なんですよね。エンターテイナーコウイチが、Show must go onを伝えずに死ねない!と奮闘しているのが2幕なのかな…と思います。そのおかげでコウイチを含めたカンパニーのみんながエンターテイメントへの向き合い方を見つめ直し、最高のショーを作った時、コウイチは1度目の成仏をする。この時「エンターテイナーとしてのコウイチ」が成仏するのだと思います。

 

しかし、この時の成仏でコウイチは完全に成仏しきれなかった。これは、コウイチがエンターテイナーとしての存在だけではなかったことを示しています。

彼には、彼が自覚していないだけで「人間としてのコウイチ」の側面があります。その側面を成仏させる必要があった。

では人間としてのコウイチは何をトリガーとして成仏したのか?人間としてのコウイチは何をやり残したのか?それを紐解くためにcontinue周辺を深掘りします。

 

2種類目の霊体は本来の時間軸で言うと大桜〜continueです(eternalは時間軸を行ったり来たりしているので対応は各自お願いします)(私自身eternalの各場面でどっちなのか見極めたいので配信楽しみにしています)。

2種類目の霊体は何をやり残したのか?まず、2種類目はタツヤにしか見えていないのだから、タツヤに関することのためだけに残っているはずです。まずそれだけで激重感情になります。お前ら…

で、じゃあ何をやり残したか。2種類目のコウイチの霊体が成仏したのってタツヤが百合の花束を手向け、タツヤとコウイチがアイコンタクトを交わした後なんですよね。つまり、コウイチは「コウイチが遺してしまったカンパニーをタツヤが背負えるようになるまで待つ」ことがしたかったのではないかと思います。そしてこれこそがコウイチすらも忘れていた「人間としてのコウイチの願い、未練」だったのかなと思います。

だってエンターテイメントという観点だけで見ればタツヤは3年前の時点で「ショー」に前向きに取り組めるようになっていますし、罪の意識を乗り越えようが乗り越えまいがエンターテイメントを成立させていましたし、コウイチのいたカンパニーにタツヤが戻って来なくてもタツヤのエンターテイナー人生としてはなんら問題ないわけですよ。けれどコウイチはタツヤが罪の意識を乗り越え、コウイチのいたオフのカンパニーを背負ってくれることを願っていた。誰よりもコウイチがタツヤに前を向いて欲しかったから。自分がいなくなるのなら、コウイチは誰よりもタツヤにあのカンパニーを託したかったから。これこそエンタメの概念を抜いたコウイチという人間1人のワガママのような願いだったのだろうなと思います。しかしそれを生きてる間にやらないところがね…ほんと…お前ら………!!!(言葉にならない)

でも、裏設定のメタファーの話を知ってしまうと、この作品を作った時光一さんは「死を乗り越えるのを焦らないで。いくらでも待つよ」って言って欲しかったのかなあ…と思ったり。だめだ、何を考えても泣けてしまう。

 

そしてタツヤが自分とコウイチの間の全てを見つめ直し、背負う覚悟をしたことで「1人の人間としてのコウイチ」「コウイチの人間性」そういったものが成仏し、コウイチは完全に成仏することができたのです。

 

 

2回目の成仏が人間性に着目しているからこそ、eternalのコウイチは本編よりもより感情的なのだと思います。eternalで2種類目の霊体になって、リカへの思いもようやく理解し始めた感じがあったし。 

1番違いが際立っていたのは「タツヤ、お前はもうステージに立つな!」のシーン。本編では抑えたような言い方だったけど、eternalではコウイチの声がめちゃくちゃ泣いてて、実はコウイチもこれ言うの辛くてコウイチが1番タツヤとステージ立てないの悲しんでたのか…と思いました。コウイチはタツヤとステージに立ちたいけど、タツヤにステージで汚名を与えたくないから“エンターテイナータツヤ”のショー人生を守り抜くためにタツヤを外したのか。

パンフとか密着番組とかでもちらっと触れられていた気がするけど、やっぱりコウイチは竜也をすごく評価してるんですよね。エンターテイナーとしても、“コウイチの仲間”としても。

でもコウイチは自分が人間であることを忘れているので、本編ではその直後に「俺はあいつらにどう思われてもいい、それであいつらが上を目指せるのなら」と言ってしまうんですが…。そしてタツヤはそれを「大好きなコウイチに切り捨てられた」と感じてそこから暴走したんだけど… 

 

で、この2回制成仏の何が難しいかって、コウイチ自身は1回目の成仏でコウイチが成仏したと信じているところなんですよ。2種類目の霊体のとき、彼は天国から下界を眺めているつもりなんじゃなかろうか。

そして、SHOCKという作品は限りなくコウイチ視点の世界を描いた演出だと思っています。そのせいで、2度目の成仏がふんわりと描かれているのかなと思います。コウイチの意識ではあくまで最後のショーで完全に成仏したつもりであり、3年後の2度目の成仏はタツヤだけが認識した出来事でしょうから。それすらもエモい。

 

そういうわけで、2種類目の霊体はタツヤにカンパニーを託すために存在し、2度目の成仏で「1人の人間としてのコウイチ」が成仏しているのだと思います。

少なくとも私の解釈では。

 

最期のショーで「エンターテイナーとしてのコウイチ」が成仏し、3年経ってタツヤが前を向いたことで「1人の人間としてのコウイチ」が安心して成仏する。SHOCK(とeternal)はそういう話なんじゃないかと思います。

 

 

ふう…長かった…。うまく伝わったでしょうか…?

まあもちろん私の解釈が正しいという保証はどこにもないし、あくまで私が好きな解釈を一例として示したにすぎません。見る人一人一人に自分なりのSHOCK、eternalがあって然るべきです。

一つ言えるのは、これだけ考えさせてくれるSHOCKは素晴らしいということです。

 

もし、これを読んでeternalという作品が気になるなと思ったら28日の配信を見ていただければ。(何度でも言う)

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とんでもなく長い記事になってしまいましたが、何が言いたかったかというと「Endless SHOCKと Endless SHOCK eternalは素晴らしい!!」

ということです。それさえ伝わっていれば悔いはないです。こんなに考察させてくれる作品に出会えたことにとても感謝しています。

光一さん、カンパニーのみんな、ありがとう。私自身配信公演楽しみにしてます!!