「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

わあ好き!と思った事を書き殴るための場所です。書いた私も「正しさ」は信じていません。

5000字きっかりKinKi Kids③

KinKi Kidsについて文字数が来るまで脈絡なく語ろう企画第三弾です。

私自身がこう感じるな〜という話なので、客観的な分析ではないし根拠もほぼないです。それを念頭においてお読みくださると嬉しいです。

私個人が思ったこと、考えたことを書いたので、あくまでKinKi Kidsを題材にした随筆くらいに思っていただければ。

 

今までの二回(1→https://poiuytrewqzx.hatenablog.com/entry/2019/05/16/185545   2→https://poiuytrewqzx.hatenablog.com/entry/2019/08/06/164833)は「KinKi Kidsが気になる?」というスタンスで書いていたのですが、今回は昨年末にコンサートにも参戦させていただき、ヲタクとしての成熟が進んでおり、文章が重いです。

2の最後でコンサートに行きたいと書いていたのですが叶って本当に感慨深い。

 

 

ではお暇な人だけどうぞ!

 

Count Start!

KinKi Kidsって、今まで相方のことをビジネスパートナーだと思ったし、信頼できる人でもあり尊敬する人でもあり、友達だと思ったことも家族だと思ったことも好きな人だと思ったこともあっただろうけど、相方を「自分」だと思うのは避けてきた2人なんじゃないかと思うんです。相手のことを自分の事のように考えるのを意図的に避けてきた2人。無意識的にはいつも自分のことのように考えてるけれど、如何せん気付いてないので、意識下において相方のことを自分の事のように考えないようにしてきた感じ。

「自分にそんな風に考えられるのをあいつはきっと嫌うだろうから」という不安と怯えとたくさんの愛によって、相方を「自分」のテリトリーに入れることを、その直前でググッと思いとどまっていたと思う。

 


KinKi Kidsの過去を追っていると何度も出てくる言葉。「そばにいてくれるだけでいいのに」

stay with me 案件だわこんなの。KinKi Kidsがお互いに言いたいことなんて一生を通じて一つしかなくて、それが彼らのデビュー曲の1番美しいところにある「stay with me」なんだと思うよ。

KinKi Kidsは2人とも「俺にとってお前はただそばにいるだけで嬉しい人だ」と思ってる。でも2人とも、これを逆で考えることをしない。相手は自分と違う感じ方をするだろうと信じているから、自分は相手がそばにいてくれたらいいなあと思っても、相手にとっては、自分がむやみやたらにそばにいるのも負担かなあとか平気で考えてしまう。そんなことないのに。

 


光一くんはたぶん、勝手に剛くんに擦り寄って行ってはならないと思っている節がある。それは剛くんのことをものすごく尊重しているからで、どんなに光一さんが剛くんに近づきたくとも、剛くんからの「もっと近くに来いよ」という台詞をずっと待っていたんじゃないかと思うんですね。稀に自分でも気づかないうちに自分から行っちゃって、剛くんにかまってもらってるうちに勝手に近づいちゃってることに気づいてまた元の距離感にぴゅっと帰る、みたいなことはありましたが。

で、剛くんは「光一が自分から来ない時に呼ぶことはない、光一の意思を尊重しよう」という人なので、もっと近くにおいでよなんて言ったことはなかった。光一が元の距離感にぴゅっと帰る時も、光一の意思で帰ってると思ってただろうし。

でも、剛くんが耳を患ってから、剛くんの尊重のメインが「剛の体調の尊重」になり、必然的に「大丈夫?平気?」という声がけが必要になった。その答えとして「俺に遠慮しないでよ」がもらえたわけです。ずっと欲しかったその言葉が。

ちょうどそのとき2人にとって愛の恩人であるジャニーさんが亡くなり、2人は手をとりあわないと生きていけなかったから、2人は一度取った手を絶対に離さなかった。離せなかった。

この頃から光一さんは剛さんへの遠慮をかなり減らしたし(さすがに100パーは無理だったらしい)剛さんに精神的に頼らせてもらう事で自分一人で闘わなきゃいけない量が減った。もう、これまでのような完全防備の重い鎧はいらなくなった。優しい光を纏うようになった。

もちろん光一さんが頼った分だけ、光一さんも剛さんに頼られているから、側から見れば光一さんのトータルの処理量は何も減っていないのだけど、KinKi Kidsにとって相方を支える事、相方のために戦うことはタスクに入らないらしい。義務にもならないし、キャパシティを使うものでもない。多分、相方に頼られた嬉しさパワーがサポートの処理量を上回るんだと思う。だから、KinKi Kidsは頼り合うほど楽になるはずなんだ。

剛くんも、自分のことで闘ったり、立て直したり、癒したりするのは大変そうだったけど、光一さんを支えることに関しては息をするようにやってますからね。頼まれそうな気配でもう引き受けてるようなところありますからね。

 


「自分が相手に生涯寄り添いたくとも、相手は生涯は自分に寄り添われたくないかもしれない」という怯えを完全に無くしたんですよね。2019からのキンキは。

今まで「KinKi Kidsって仲いいんですか?」って聞かれて「仲良いですよ」ではなく「仲悪くはないですよ」と答えてきたのは、「俺は仲良いと思ってるけど、向こうはそう思ってくれているだろうか」という怯えに他ならないと思うんですよ。2人は相手の意思をものすごく尊重するから、もしかしたら自分の言葉が相手の考えにそぐわないかもしれない場合、主語を絶対「僕たち」にしない。

だから、最近「仲いいですよ」と言ってくれるけどそれがどれほど凄いことか。

 


KinKi Kidsが相手を語る言葉は、今まで「can(一緒にいられる)」か「相対的なwant(他の人よりは貴方がいい)」だった。「一緒にいると安心できる」か、「他の人とコンビを組むことは考えられない」か。

「絶対的なwant(貴方がいい)」は1番恥ずかしいから、照れる気持ちはよくわかる。だって、「KinKi Kidsのコンビを組む」「KinKi Kidsを組まない」の2択でも相手を選び取るということですから。「他の人より 剛/光一 が欲しい」より「剛/光一 が欲しい」っていうほうが照れます。「代わりの人がいようがいなかろうが関係ない、剛/光一 が欲しい」ということですから。でも、もうそれを隠さなくなった。

相方が相方だからというだけで、他は無条件にあなたが欲しい」と言ってくれてる。泣く。

 

 

今のKinKi Kidsはお互いにお互いの人生を預けることに臆さなくなった。預ける限り相手から受け取る訳で、受け取り手として自分がふさわしいのか、という怯えがあったように思うんだけど、それが完全になくなった。

KinKi Kidsは、「まあ仕事仲間だし」「なんかいい人そうだし」とかいう理屈を全く使わずに、実に20年以上(!)お互いのことを精査してきた。2人がかなりの怖がりで臆病者であることもあったかもしれない。

本当に自分の人生を預けられる人なのか。本当に自分が相手の人生の一部を受け取ってしまっていいのか。KinKi Kidsはその答えを驚くほど厳密に出そうとしてくれた。これは、「光一/剛 の人生に関する選択において絶対に何も間違えたくない」という深い愛の現れだ。

KinKi Kidsにおいて時間がかかったのは圧倒的に後者の問い(本当に自分が相手の人生の一部を受け取ってしまっていいのか)だ。前者(本当に自分の人生を預けられる人なのか)は割と早い段階で出ていたけれど、後者の問いは相手の尊重が大きすぎる故にあっさりと答えを出すことはできなかった。でも、どんなに時間がかかっても、絶対に答えを出そうと、精査し続けてくれた。諦めなかった。

そして、その精査の結果が「一緒に生きていきたい」「We are the one 」である。涙以外の何物でもない。感動以外生まれようがない。

ありがとう。絶対に妥協しないでくれて。その上で「あなたあっての僕だよ」と言ってくれて。ありがとう。

 


剛くんは心で考える人、光一さんは頭で感じる人だと思う。

剛くんは情報の入手手段は感性だし、自らの体で浴びたものをそのまま咀嚼して取り入れているのだけど、そこからの結論の出し方が凄く理論的で哲学的。データとしてではなく、「他者」として見て相手の立場とその傷に寄り添って共感して、そして最後の最後に俯瞰する。誰をも裏切らない、最もたくましい決断方法。本当に強い人でないとこの思考はできない。

光一さんはデータ的な情報をたくさんたくさん集めて、ギリギリまで自分の主観は入れずに情報だけ俯瞰して、最終的な決断は自分の直感のみで行う人。情報は全て持っていた、でも決断は情報ではなく自らの考えによって行ったとなれば、誰も彼を責められない。最も美しい決断方法。

 

 

光一さんの「受け止め切れないが故に鈍感」なところ、私もどちらかというと光一さんタイプだからわかるなあ…

全てを受け止めたら傷つきすぎてしまって立ち直れなくなってしまうから、明日も笑って生きていくためには無頓着にならざるを得なかった。それを貴方は「ポジティブバカ」と言うけれど。

剛くんは一つの出来事からたっくさんのことを感じとれてしまうし、その一つ一つに感情を抱くことができてしまうから、たくさんのことを受け止めすぎてしまうとキャパオーバーで生きていけなかったのだと思う。

瞳を閉じて心で感じる剛と、心を抑えて全てを視る光一。2人が揃えば絶対に大切なことは見失わない。

 

 

剛さんは人の胸を打つ力が異様に高い。だからすごく些細なことでも、ぽろっと言ったことでも、少なくない人の胸にぐっさり刺さる。なんにも気にせず言いたいことだけ言って生きてたら周りが大惨事になるタイプ。だからこそ発する言葉はすごく慎重に選んでいるのだろうし、そうして精査された言葉は尚更人の胸を打つ。

周りを大惨事にしうるパワー、訴求力を持って生まれたからこそ、他人の痛みが誰よりもわかる才能が与えられてこうして生きているのだと思うし。

 


光一さんって「待つ」才能があると思う。本当にうまく待てる人。待つときにやりがちな方法として「待つ対象から興味を削ぐことで待機に耐える」というものがあるけど、光一さんは絶対にそれをやらない。相手への興味と緊張を保ったまま、辛抱強く待つことができる。これは本当に凄いと思う。剛くんと付き合ってこれた理由の一つだ。短期的に見れば拗れる原因だったかもしれない。「言わずじまい」を許して意思疎通を遅らせてしまうから。でも、長期的に見れば剛くんが気を遣わずに言いたいタイミングで伝えたいことを伝えることができる相手なわけで。

剛くんは相手に不快に思われない程度まで甘えるから、上手く待てない相手になら、自分のリズムを崩してでも早く伝えようとするだろう。でも、それではいつか疲れてしまう。光一さんは待てる人だから、「いつかは言いたいと思ってるけど今はまだ」ということを自分のリズムで伝えることができ、それがKinKi Kidsを長続きさせていることは間違い無いと思う。

 

 

‪KANZAI BOYA、光一さんにとっては剛くんがKinKi Kidsにファンクを提供してくれたことが死ぬほど嬉しかっただろうし、剛くんにとっては光一さんがKinKi Kidsにファンクを迎え入れてくれたことが死ぬほど嬉しかったんじゃないかな

 

 

KinKi Kidsにおいて愛と理解は交錯していて、剛くんは「本当の僕を理解して、そして愛してほしい」という人。「理解は愛だ」という考え方。対して光一さんは「理解されなくてもいいから愛されたい」という人。「わからないことを無理に分からなくても、お互い尊重できればそれでいい」という考え方。

そして、基本的に人間は与えられる愛と求める愛の種類は同じだから、剛くんは「あなたをわかっているよ」という愛を示すし、光一さんは「あなたのことはわからないことがあるけど、それでもあなたを愛しているよ」という愛を示す。これがお互いに向くとどうなるか。

剛さんは「理解という愛を示す」人だから、光一さんからの「理解できないけど愛している」は、剛くんにとって無償の愛に等しいんですよね。「わからない」は「愛せない」を意味するはずなのに、「わからないけど愛している」と言われる。この愛自体が理解を超えた無償の愛です。わかってもらえないなら愛してもらえないと思っていた剛さんにとって、「わからないけど愛している」は絶対的な安心を含みうるんじゃないだろうか。

光一さんは逆に、「人はそれぞれ違うから、ありのままでいながら完全にわかり合うなんて無理だ」とでもいうような哲学が根本にあって、「わかってもらえなくてもいいから愛してくれたら」という光一さんにとって、「無理にわかりやすくしないありのままのあなたをわかっているし、もっとわかりたい」という剛さんの愛は不可能を突き破った究極の愛なんですよね。わかりやすいようにもしてないし、わかってほしいとも思ってないのに、わかってくれる人がいる。愛さずにはいられない。

Count finish!

 

いやあ今回は重くなってしまった…

個人的には愛と理解の話が好きです。

ちょこちょこ書き溜めていたのを多少直してまとめたので、呼び名が君付けだったりさん付けだったり安定していませんがご容赦ください。

 

KinKi Kids最高です。もっと2人について勉強させていただきます!

 

 

長文お読みいただきありがとうございました!!