「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

わあ好き!と思った事を書き殴るための場所です。書いた私も「正しさ」は信じていません。

5000字きっかりKinKi Kidsその2

どうもこんにちは。あのなんだかよくわからないKinKi Kids書きなぐりをコーナー化しようとしている猛者です。

今回は「わー好き!」って思ったポイントが多めです。後半に行くにつれて重くなります。

少しずつ書き溜めたので二人称ごちゃ混ぜです。すみません。

お暇でしたらどうぞ。

 

Count start!

・最近キンキファンの方のツイート見すぎて、「堂本」が宇宙色(紺地にキラキラが散ってるやつ)に見えるようになったし「光一」「剛」という字が琥珀色の輝きを纏っているように見えてきた。堂本は宇宙、わかる。(は?)

あ、でも「剛」は光沢のある紫もありだな…

 

 

・私がキンキで小説書くならタイトルは「後天的運命」にします。(なんの話)

いやでも、先天的じゃないのに、運命感じるんですよ。KinKi Kidsって、“何もなかったところに運命を築き上げてしまった二人”じゃないですか。

帯の言葉とかどうしよう。「君と出会ってから、僕は君と生きていく運命なんだ」とか?

タイトルは絶対明朝体で刷るからね。そこは外せないよね。そりゃあね。

 

 

・「横をむけばいつもそこに君がいてくれた」という歌詞、嵐なら絶対本当に横を向いてメンバーを見るか隣のメンバーを手で示すかすると思うんだけど、2人で前を向いたまま歌い上げてくれるのがKinKi Kidsなんだよなあ、好き。

 

 

堂本剛はプライドが高いんよ…ただその高いプライドを保ったままこの世界と共存するのも超絶上手いんよ、だからそれでも穏やかな日常が送れる。

でも、唯一剛のプライド関門を突破してくる男がいてですね、それが誰であろう、いつも隣にいる光一(出来過ぎてる)。

「ねえつよしくんつよしくん」って来てくれる光一さんが義理とかいじりとかで声をかけてるんじゃなくて、純粋な好奇心と愛情が向けられているってことが、聡すぎる剛さんにまっすぐ伝わるから、剛さんは振り向いて微笑まざるを得ない。だって嬉しいもん。そんな風に来てくれたら。

剛くんが「いま」の自分に楽な状態でい続けたらそりゃ今は楽だけど、将来的にしんどいよって時に、光一さんが引っ張り出してくれるイメージ。

 

 

・個人的なKinKi Kidsのイメージ(独断と偏見)

脳内の剛「そんなに何でもかんでも頼みたくないし、向こうも自分なりのプライドがあるから手を差し伸べ過ぎても酷やろ。ほっとくのも優しさちゃうん。もちろん、必要だっていうなら助けますよ」

脳内の光一「頼ったり頼らせたりしないんなら2人でいたって意味ないやん」

そんな感じのイメージがあります。勝手に。

 

 

・「ミルクティー色の巻き髪が似合う40代男性」という言葉のパンチにクラクラするけど、誇張なしの言葉通りの人が実在するんだな、これが。

これ以上ないパワーワードを説き伏せる、美しすぎる顔面と卓越したセルフプロデュース力のある堂本剛、もうひれ伏すしかない。

 

 

・Kinkiちゃんって、相方の「うまっ!」に対する返しが、

光一は「おいしいやろ?」で、剛は「よかったですねえ」なのが最高に好き

「共感」の光一と「肯定」の剛。これ、割とずっとそうじゃない?「わかるよ」「わかり合いたいよ」って伝え続けてくれる光一と、「それでいいよ」「そのままがいいよ」と言い続けてくれる剛。尊い

「わかり合う」案件に関しては、「分かり合えないけどわかり合いたい」光一と、「思ってたより分かり合えたわ」な剛、という感じがたまらん。

 

 

・あの、これはファンになったのが遅くて、かつ自担が若々しい美貌を保っているタイプのファンあるあるなんだと思うんですけど、むかしの秘蔵映像とかの若い自担を見て、「今の自担にそっくり〜!!!」とか思ったりしません?わたしはまさに堂本光一がそれなんですけど。

いや分かってる。逆だよね。そうだよね、そうなんだけど。

「今の光一くんもデビュー当時と変わらず美しい…!!!」だよね。正しいのは。

でもわたしが出会った順番としては、デビュー当時の光一さんより先に40歳の光一さんだったんですよ。

ほら、蟹より先にカニカマを食べてしまったが故に「この蟹、カニカマの味がする!」って言って周りの大人達をドン引きさせたわたしのように。(実話です)

認識する順番って大事ですよね。

この前もMステの「22年前の秘蔵映像!」ってやつで「このころの光一さん、いまの光一さんにそっくり!!」って思ったし。

…いや、そもそもデビュー当時と今でさして顔が変わらない堂本光一すごくない???

 

 

・もしKinKi Kidsが兄弟だったら、ぜっっったいに

兄:光一

弟:剛

だと思いません?

これ、自分が長男長女の人に特に納得してもらえるんじゃないかと思う。

もちろん、二人ともがっつり弟タイプだと思うけど、二人の関係性においては兄:光一、弟:剛だと思う。年齢とか誕生日云々ではなくて、関係性がこれ。

引っ張ってあげたいと思ってるし、実際頼りになるけど、どこか抜けてる光一お兄ちゃん。しれっとお兄ちゃんに頼りつつ、お兄ちゃんがうまくいかなかった時はしれっと軌道修正する弟剛。

いやこれ、まんまうちの姉妹の構図だ。私の妹もこういう人なんだよ…

はっ、つまり妹と喋れば0.01パーセントくらい剛くんのファンミですか?(違う)

 

 

KinKi Kidsを見てると、音楽、というか歌については、作成が「作詞」と「作曲」でできてるの凄くない?ってなりません?もはや。もはやそっちに感動。

KinKi Kidsのために歌というものが出来上がったかのような。

作詞と作曲で1つの楽曲が出来るんですよ?ことばとメロディー。剛と光一。ねえ。

 

 

・ちょっと重いことも書くね。読むのが辛い人は飛ばして。剛の突発性難聴について。

前述したように確固たる誇り、すなわちプライドがある剛くんにとって、自分だけ突発性難聴になったのは辛かっただろう。突発性難聴になったことそれ自体も辛かっただろうけど、「KinKi Kidsにおいて自分だけ突発性難聴を患ったこと」もまた、同じくらい辛かっただろう。誰も、なにも悪くないけれど、だからこそやりきれなくて仕方なかっただろう。「堂本剛」として活動していく上での障害だけではなく、「KinKi Kids」としての活動の障害にもなっただろう。今までのやり方、今までの関係性では音楽が成り立たなくなってしまった。相手のペースを把握しつつも、思い思い好きな道を歩いて、時々振り向きましょう、ではやっていけなくなってしまった。彼、あるいは彼らの意思とは裏腹に。

個人としても職業柄致命的な病にかかったのに、相方との関係性も変わってくるとなると、その時剛くんにはどれほどの葛藤があったのだろう。そもそも難聴になった頃も、考えること、辛いことがたくさんあった、と話していた。それらが難聴になったことで一気に解決するなんて夢物語は起きないだろうし、本当にその頃の苦しみは計り知れない。

あの頃、私はただハラハラしながら希望を願うことしかできなかった。いつまでこれが続くのかを考えることを忘れられるように、ただ、その眼差しの先にあるものだけを追おうとした。

私が見ている限り、剛くんは髪を切ってから変わったような気がする。HYBRID FUNKのMVで断髪した頃から変わった。というより、変わったから切った、と言った方が正確だろうか。

あれ以降、「堂本剛」の活動としてはこれまで通り、茨の道であろうと行きたい道を1人で行くことに決めた。ただし、KinKi Kidsの時は、さらっと光一に頼ることに決めた。「助けてよ」なんて言わないけど、「助けてあげたいんだけど、助けさせてくれる?」と言うかのように差し伸べられた手を、「いいよ」と取るようになった。そんな気がする。彼らが抱えているたくさんのことと、彼らの美学が一致した瞬間だと思う。

あくまで当時の話だけど、何も頼らなかったらクオリティでファンを心配させてしまう。「助けてもらってる」そぶりを見せてしまうと「助けてもらわなきゃいけないくらい回復してないの?」と心配させてしまう。だから素知らぬ顔で隣にいる人を頼ることに決めた。

これは私の個人的な勘なのだけれど、多分堂本剛はファンから心配されることを嫌う。ファンの心配は100パーセント自分への好意によって向けられていることがわかるから、とても感謝しているけれど、「心配されること」自体はそんなに好きじゃない気がする。だから、あからさまじゃないように頼ることを決めたのではないかと思う。

ここで私が褒め称えたいのは、光一さんの剛に対する姿勢が全く変わらないことである。剛くんが突発性難聴を発症してから今日に至るまでなにも変わっていないし、もっと言うなら、その前からずっと変わっていない。

同じ気持ち、同じ姿勢でいるから、剛くんの状態によって取る行動が変わっているだけだ。

根っこは一ミリもぶれていない。光一さんはずっと、おかしくなるくらいずっと、剛くんのことを「憧れて、かっこよくて、笑っていて欲しくて、かっこいいと思われたくて、尊敬してやまない人」と思っている。

だから、剛くんが今笑ってくれているならその姿をただ見つめていたいし、笑えなくなったのならどうにかして助けてあげたいと思う。

それだけのことだ。

さらっと書いてしまったけれど、よく考えてみてほしい。「それだけのことでしかない」というのがどれだけ凄いことか。

デビューしてから22年、出会ってからならもっと長い間、隣にいた。内側でも外側でも悲喜こもごもたくさんあった。2人だって大人になった。でもその間、ずっと同じ思いで向き合い続けてきてくれた。

そばにいる人に「大人になってからもう一度向き合う」のは意外と簡単だけれど、「向き合いながら大人になる」のは死ぬほど難しい。それをやってくれて、「これからもそうしてくれるんだろうな」という信頼まで抱かせる光一さん流石。

あ、もしかしたらこう書くと「弱い剛さんとそれを支える光一さん」みたいに見えてしまうかもしれないけど、そんなことないからね。得手不得手が違うという話をしてるだけです。光一さんには剛さんとは全く違う種類のプライドがあるし。私はその象徴とも言える、

(「泣き虫なのは?」という質問で2人とも剛くんをあげ、剛くんの話をしてから)

剛「この人あんまり泣かないって言うんですよ。ホンマは、俺より泣いてると思いますけどね」

光一「まーね♪」

というやりとりが大好きなんです。

多分、剛くんの言う「泣いてる」は「涙を流す」ことだけを意味しているわけではないだろうし、その意味合いだってことを体感で掴む光一さん。

 

 

・光る合わせ鏡

KinKi Kidsは光る合わせ鏡じゃん。発光しちゃってる鏡。相手がキラキラと輝いていて眩しく見えて、まっすぐに向き合うとそこに自分の姿が映るわけじゃん。自分か相手の光が強いとき、合わせ鏡の中で光が増幅しちゃって目がシパシパするわけじゃん。

程よい距離感で、薄いヴェールをかけて正面で向き合った状態が1番相手を輝かせるわけじゃんか。ゔっ、尊い

 

 

「若いからKinKi Kidsとか世代じゃないでしょ?」が刺さらない。世の中に蔓延るこの言葉の真意がわからない。

「おじさんだけどいいの?」もわからない。

何が言いたいのかわからない。あの、何が言いたいんですか??

私、KinKi Kidsと同居する予定ありましたっけ?KinKi Kidsの介護する予定あるっけ?KinKi Kidsと同じライフスタイルを送る必要ある??例えばKinKi Kidsと同じ味覚である必要ある???

推しが自分の世代である必要 is where。(文法よ)

駄目だ、どう考えても「推しが自分と年齢が近い必要性」がわからない。

私にとって推しは「推している存在」であって、「恋する相手」ではない。別に何歳であっても好きなものは好きだよ。

歌や作品、考え方の価値が推しの年齢によって変わるはずがない。

周りに「年上すぎて推す気にならない」と言われても、それは私がKinKi Kidsのヲタクである事となんの関係もない。

逆に、「KinKi Kidsなんて世代じゃないじゃん」って言ってきた人に「そこをなんとか好きになってよ」「KinKi Kidsの良さわかってよ」とも思わない。(そういう人ほど堕ちたら面白いのにな、とは思ってるけど。)

やっぱり自分自身で良さに気づいたものの方が深くハマるし長続きするから、その時を私は待ってるよ。KinKi Kids好きになったら声かけてね。

そういうスタンスです。

 

 

KinKi Kidsのコンサートに行きたい。

今すぐには無理でも、近いうちに、必ず…!

 

Count finish!

 

 

 

いやあ、楽しかったです。

軽いのから重いのまでいったな。私は天邪鬼の極みなので、本人たちが安定多幸期に入ると重い考察が捗る傾向にあります。

今もこれと、嵐の重い考察が眠ってます。書けたら読んでやってください。

 

こんな長い記事をお読みいただきありがとうございました!!!!!