「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

わあ好き!と思った事を書き殴るための場所です。書いた私も「正しさ」は信じていません。

鉄コン筋クリート

鉄コン筋クリートを観ました。公開当初は見れなかったので6月2日の放送で初めて観ました。

 

二宮和也が声優をやっている」という理由で「面白そう」と思って録画ボタンをポチッと押しました。

2日の放送当日は見れなかったので、ネットの評判を見ていました。そのほとんどが絶賛していて、「ああ二宮くん声優上手いんだろうなあ、早く観たい」と思っていました。

 

観ました。

衝撃でした。

観る前の自分のスタンスを後悔しました。

お前はこの映画に二宮和也が出ていなかったらこの映画を観ることなく一生を終えるつもりだったのか」と。なんと浅はかだったのか、と。

 

 

私は声を大にして言って周りたい。

もう誰が出てようが絵が好みじゃなかろうがとにかく観て欲しい。

それほど素晴らしい作品でした。

 

こんな作品に出会うきっかけをくれた二宮くん、本当にありがとう。

二宮くんが声として出てなかったら私、この作品に出会えてなかった。

この作品に出会えなかったら私、この先の人生を描く色が一つ足りなかった。

出会えて本当に良かった。

 

 

 

さて、ここから感想をバリバリ書きます。

ネタバレが嫌な人はお帰り下さい。

6月9日にも放送があるのでそれを是非。気力を消耗したときの心地よい疲労を感じられる希少な映画です。ぜひ。

 

 

 

では早速感想と考察を書きます。あらすじは書いてないので観終わってから読んでね。

 

この作品において、シロとクロは2人とも壊れてるんだけど、シロが「わかりやすく壊れてる人」でクロが「わかりにくく壊れてる人」なんですよね、多分。

わかりやすいっていうのは「壊れてるかどうか」に加えて「どう壊れているのか」がある。

シロのような人は助けられやすい、或いは治さなくてもそのままで生きていきやすい。強い、安定した壊れ方。作品の後半では警察の人たちにも住処を提供してもらったり、色々な人に助けてもらっている。

クロは生きにくい。硬くて、脆い。コンクリートのよう。で、「クロのネジ、みんなシロが持ってる」という言葉が表すように、クロに手を差し伸べられるのはシロのような人しかいない。クロのことはシロにしか助けられない。

この映画って対比がめちゃくちゃはっきりしてると思うんですけど(一番は「おかえり」「ただいま」のところかな。肉体の生死をさまよったシロと精神の生死をさまよったクロ。)だからこそ、シロの「クロのネジ、みんなシロが持ってる」というセリフに対応するものがないことが気になる。

この作品の中で一回も、「シロのネジ、クロが持ってる」とは言わない。シロのネジは、なくても生きていけるネジなのか、周りにいてくれる人なら誰でもくれるネジだからなのか、それはわからないけど。

対比がないからこそ、あのセリフはその言葉自身が大事なものだったのではないかと思う。お互いの関係性ではなく、あの言葉自体がテーマ。

鉄コン筋クリートって、コンクリートだったクロがその中に鉄筋を得る話なのかな。コンクリートがずっとコンクリートのままであることは変わらないんだけど、鉄筋を入れるだけでずっと強くなれるの。

 

自分の中にいる闇は、闇を恐れなくなった途端に力を増す。何も寄せ付けないほどの力を発揮する。それは逆説的に、とても孤独だ。だって、誰も寄せ付けてくれないんだから。しかも一度そちら側に行ったらもう戻れない。

イタチの「闇は純粋なんだ。光の後ろにある影じゃない」という言葉が強烈に印象に残る。明るく輝く光の反動じゃない。本当の闇は、闇だけで純粋に培養されていく。

 

「愛が深いほど、負う傷も深い」にのみやくんんんん

シロを警察に渡したことに象徴されるように、「今は相手も自分も幸せだけど、すぐに相手が死ぬ」よりも「ずっとどちらも辛いけど、相手が生き延びる」方を選ぶのが二宮和也ー!と思った。彼もそうしそうだもん…

 

何よりもシロを守りたいからシロを自分から遠ざけて、でもシロがそばにいないから壊れていく。初めはシロが締めていたネジが外れて行って凶暴化していったけど、そんなのはまだイタチじゃない。その先にある、シロがいないことに耐えられなくなって世界を憎む理由しかなくなって、光の対比としてじゃなく完全なる闇だけで世界が埋め尽くされる時、イタチはやってくる。

 

何故クロが「俺の街」にこだわるかというと、それが「自分の居場所」に直結してるからなんだよな。街を失ったら、いていい場所がなくなると思ってる。でも、開発組と対峙して、街を守るために何人殺しても満たされなくて、白を失っただけで壊れていく自分に気づいて、「自分と、シロがいればそこが俺の居場所」と悟る。

最初は「シロのために」シロを守ってたけど、イタチと対峙したことで「クロの意思で」シロを守ろうと思うようになった。「クロが」シロと一緒にいたいと思った。そこが私はすごく好きで。

クロの視点からすると、クロと一緒にいないほうがシロに安定が訪れるかもしれないわけです。イタチに従った方がより強い力を手に入れられるかもしれない。今まではシロのためにシロを守ってきたと思ってたけど、この時点ではクロがシロを守らなきゃいけない理由は特になくて。でもシロを信じたいと選んだ。というか、この状況だったからクロの「シロといたい」という思いが現れた。

別に、イタチを倒したわけじゃない。いつでもイタチを呼ぶことはできる。この作品でクロがしたのは「イタチとシロの中からシロを選ぶ」ことだけ。でも、「俺は今自分の意思で選んでシロと一緒にいる」という思いは義務感や責任感よりよっぽど強い。この変化が、夢物語じゃなくちゃんとリアルで、でも希望に満ち溢れていて大好き。

 

この作品は、気力を使い果たした心地よい疲労を、『観客であるはずの私たちが』味わうことができる。

信じられない突飛な主人公なはずなのに、なぜか共感してしまい、ともに葛藤して苦しんで、主人公とともにその先の世界を見ることができる。ブラックペアンの時も感じたこれは、二宮和也が持つ魔力の一つなのではないかと思う。

加えて蒼井優のシロが、松本大洋ボイス。松本大洋先生の絵しかこんな声で喋らないと、そう思わせてくれる声。「にやり」とも「くしゃり」ともつかない笑いが真っ先に浮かぶ、人を惹きつける声。この声のおかげで私たちは冒頭から一瞬にして宝町の世界に入り込める。

 

鉄コン筋クリートはその作品自体が素晴らしい。二宮和也蒼井優が出てるから好きなわけではない。俳優のみでこの作品を判断するのは勿体なさすぎる。

しかし、二宮和也蒼井優がシロとクロでなかったらこの作品は完成していなかった。何より、この作品に出会うきっかけをくれたのは二宮和也だ。

 

 

もう本当に大好き。ツイートでは「濁流にのまれて流されて青い海にたどり着く映画」と言った気がするけどまさにそれ。(自分で言ってるから当たり前なんだけど)

全てを乗り越えたあの2人だけの海のシーンが本当に好き。圧巻。

観たことある人も、ぜひもう一度見て欲しい映画。

 

私の大好きな映画の感想、こんな文章で良かったのかな。

最後に。蒼井優ちゃん結婚おめでとうございます!!!!!