「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

わあ好き!と思った事を書き殴るための場所です。書いた私も「正しさ」は信じていません。

最近の二宮くんのコンサート挨拶レポを見て考えてたこと

大して長くはない(予定)なんですけど、あまりに根拠がないしあまりに私の妄想が甚だしいので、呟かずにブログにしてワンクッションおきます。

これを見てる人は読みたくて開いた人、ということでよろしくお願いします。

 

 

さて。

最近の二宮くんのコンサートの挨拶、どきっとする言葉が多いですよね。「結構言ったな」と思うものが沢山ある。

例えば(ニュアンスでしかありませんが)

「嵐がなくなっても俳優があるから大丈夫だろっていう人の連絡先を消した、どの口が言ってんだと思った」「活動休止は嵐を守っていくために必要な選択だった」「嵐は大切な存在」「僕らはここじゃないと息ができない」「場所はもうどこでもいいです。また、会いましょう」

など。

 

私が行って直接聞いたわけではないので多少違うところもあるかと思うし、前後の言葉と合わせて読んだ方がより本意が伝わると思うのでまだ知らない人はTwitterのレポを見てみてください。

 

で、私はこれを聞いて二宮くんの「嵐への思い」に加えて「怯え」を感じた。

おそらく二宮くんが伝えたかったであろう、嵐への愛、ファンへの愛、そういったものは痛いほどに感じたけど、同時に「二宮くんは何に怯えているの?」と思った。

だって、休止まであと一年半以上ある人の言葉じゃないよ。あと500日以上嵐として活動する人が言う言葉にしては重すぎない?いやまあ確かに二宮くんはそういうところあるけど。今からそんな悲痛な叫びをあげるなんて何かあったの?

理論や分析ではなくて、感情的な「怯え」を感じた。私は。

 

でも、一体何に怯えているの?嵐がなくなること?嵐でいられなくなること?休止に入ること?休止中、一時的に「嵐」を失うこと?

そんなに嵐を信頼してないの?いや、そんな訳ない。彼に限ってそんな訳がない。

大丈夫だよ、二宮くんは嵐がなくなっても死にはしないから!「嵐」が今より薄くなっても、生きていくことはできるから!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………それか?

それを一番恐れているのか?

 

二宮和也は、休止中に垣間見えてしまうだろう「嵐でなくても生きていける自分」を恐れているの?

 

 

 

「嵐がなくては生きていけない」と何度も言っていて、それを誇りとしアイデンティティとして生きてきた二宮くんにとって、

「嵐でなくても何とかやっていける自分」

ほど怖いものはないのではないか。

そして多分、「嵐でなくとも何とかやっていける二宮和也」は幻想じゃない。たぶん、いる。

 

二宮くんは嵐を愛し嵐に依存し嵐を行動の基準とし嵐に支えられ生きてきた。二宮くんにとって嵐は燦然と輝く正義だった。誇張でもなんでもなく。文字通り、「嵐があるから生きてきた」。

それだけの大切な存在を無期限で手放すことは耐えがたい事だと思うし、現状の嵐にとって最善の策であることはわかっていても、そんな決断をした嵐を憎みたくなったこともあったかもしれない。

でも、憎むことなんてできない。無理だ。

嵐の愛ゆえに手放すことが苦しいのに、その結果嵐を憎むなんて無理だ。

だから、「守るために必要な選択だった」という言葉も出てきたのだと思う。

嵐側が嵐の定義の舵を大きく切ってきたのだから、二宮くんにとっても嵐との向き合い方を見直さなければ、彼が愛したい嵐を正当化することができない。

それほどに彼にとって嵐は絶対的存在だ。

 

でもそれは、「これからの彼が嵐じゃないと生きていけないことの証明」じゃない。

 

二宮くんは「嵐が活動していない世界で楽しく生きていける自分」に怯えているように思う。

「嵐がなければ生きていけない」という言葉が嘘になってしまうことに怯えている。

 

 

 

ねえ二宮くん、嵐絶対主義を貫いても、活動休止期間を楽しく生きていいんだよ。

 

嵐のみんな、二宮くんを休止中も自分を愛せるようにして休止へ送り出してあげてね。

すっごい大変だと思うけど、500日かけて成し遂げて欲しい。もちろんみんな不安だと思うけど、休止に向けて全員のケアをする上で、「二宮和也ケア部門」にこれは必ず入れて欲しい。

 

「嵐が休止しているせいで蝕まれているのは嵐の愛や依存を現しているようで嬉しい」と言って喜んで傷を負い続けることがないように。活動休止によって負った傷が癒えないことを誇りに思わないように。

二宮くんのかなりたくさんの部分は嵐への愛でできてるから、「休止によって傷を負うこと」「嵐の休止によって生気を奪われること」は貴方らしさを示しているのかもしれない。でも、「蝕まれた痕を治そうとしない」のは愛の証明でもなんでもないよ。傷がなかったところに傷ができるのが、貴方が嵐を愛している証拠なのかもしれないけれど、その傷が治らないことよって貴方が弱っていくのはむしろ嵐への裏切りかもしれない。わたしは今あえて荒い言葉を選んでいる自覚があるけど、それでも書かせて。

嵐を、二宮和也の加害者にしないで。「嵐のやり方で輝く」ことを休むことになったとしても、「輝く」こと自体を捨てないで。強く、生きて。

嵐のせいで弱っていく二宮くんなんてファンは見たくないから。少なくとも私は見たくないから。

これから二宮くんがどれだけの傷を負うのか私には計り知れないけれど、その全ての傷を、治そうとしてほしい。ものすごく残酷なお願いをしている気がするけど。「嵐によって満足に傷つくこともできない」というのは貴方にとって辛いことかもしれないけれど。

貴方が人生ぶん投げて守ろうとしたものをこんなところで失って欲しくないから。貴方の何よりも大切なもののせいで貴方自身が弱って、またあの5人で笑ってくれる日が遠くなるのは辛すぎるから。何より、私が愛してやまない、掛け替えのない存在が、その存在に関わる全てが輝いていてほしいから。

 

 

 

あと、私個人の意見だけど、二宮くんの「嵐がないと生きていけない」は自己暗示のようなものだと思うよ。

そうありたいと思っているだけで、本当はそうじゃないと思うよ。

だからそんなにその言葉に縛られないでよ。

 

憶測でしかないけど、多分二宮くんは『嵐に自分は必要か?』という問いで悩んだことがあって、この問いに対して

「嵐に俺が必要かはわからないけど、少なくとも自分に嵐は必要だ、俺のために俺を嵐に置いておいてよ」

と訴えたところから「嵐 or dead」は始まっていると思う。

なんて二宮くんらしい答えの出し方だろう、と思う。

 

 

この『嵐に自分は必要か?』という問いって残酷だ。答え出ないし、正解ないし、体張って示すわけにもいかないから浮かんだらずっと悩み続けることになる。「俺がいなくても嵐はなんとかやっていける」可能性を完全に否定することなんてできない。

この問いを私は今回だけでなく二宮くんの言葉の端から感じる時がたびたびあって、その都度胸が締め付けられてる。「もしかしたら嵐として俺を嵐に置いておく理由はないかもしれないけど、俺に嵐が必要なんだよ。俺のために俺を嵐でいさせてくれよ。」と言っているような気がしてしまう。

二宮くんは確信してることは絶対に言わない一方で、そうだと信じたいけど確信が持てないことは何度でも繰り返して言う傾向があると思っているので「俺、嵐だから」「これからもずっと嵐だよ」「5人で嵐だよ」などは多分そういうことなんじゃないかと思う。

嵐である誇りよりも、嵐でありたいという強い願いを感じてしまうのは私だけだろうか。

少なくとも俺には嵐が必要なんだ、と訴え続けてきてくれたんじゃないか。

考えすぎかな。考えすぎだな。

 

 

でも、これ(俺は必要か問題)に関して一つだけどうしても言いたいことがある。

そもそも問題提起から間違ってるからね!

 

 

 

「嵐に俺は必要か?」という問題提起からめちゃくちゃ間違ってることに気づいて欲しい。

そもそも君がいないと、君が必要かどうか悩んでる「嵐」は存在しないんだよ。

君は自分の事を「嵐」という枠に入れてもらった何かだと考えてるかもしれないけど、嵐と自分を切り離し過ぎなんだよ。君の存在が嵐を成立可能にさせてるんだよ。

君が悩んでる「嵐に俺は必要か?」という問いは「『ぐりとぐら』にぐらは必要か?」というくらい「何言ってんだ」となる問いなんですよ!ぐらがいるからぐりとぐらなのに!

ぐりとぐら、ぐらがいなくてもなんとかなるじゃん」なんて台詞、あるはずがないんだよ。それはもう、ぐりとぐらじゃないもん。

同じだよ。「嵐、二宮和也がいなくてもなんとかなるじゃん」なんて台詞、あるはずがない。

 

ねえ、貴方が嵐に依存してるだけじゃなくて「嵐」という存在も貴方の存在に依存してるんだからね…!!

 

 

 

 

 

嵐が死ぬほど大好きでも、嵐の休止中も楽しく生きていいんだよ。

嵐への愛と活動休止中の輝きは両立するよ。

「嵐がなくては生きてはいけない」に縛られすぎないで。

 

あと、真偽は知りようがないけど、もし嵐を失いたくなくて「嵐 or dead」を訴えてるのだとしたら、「嵐がなくては生きてはいけない」なんて言わなくても、貴方は嵐のために嵐にいる必要があるよ。

 

 

 

活動休止中も、私が大好きな貴方が、私が大好きな嵐を相変わらず愛し、嵐であることに誇りを持ってくれたなら、いち嵐ファンとしてこんなに嬉しいことはありません。

これからもずっと応援させてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

ふう。

普通に4000字弱だった…。構成のメモは300字なかったのに…。私には短い文章を書く才能がない_| ̄|○

コンサートレポを見ながら考えてたことをつらつらと書いていたらこんな記事になってしまった。

相変わらず読みにくい妄想戯言だったと思いますが、お読みいただきありがとうございました!