送り出し方。
ずっと、迷っていた。
嵐のためにはどういうファンでいたらいいのかなって。
活動休止に賛成した方がいいのか、それとも休止に反対するのが嵐愛があるってことなのか、どうしたらいいんだろう、って。
私はそりゃあ寂しいけど、嵐にしかわからない事情がいっぱいある中で下した決断に「寂しいよ」「休止辛いよ」をぶつけていいんだろうかと思ってた。
だってわかるんだもん、2年間も「いなくならないでよ」を受け止め続けて全く揺らがない人たちじゃないってことくらい。
嵐は本当に、本当に優しい人たちだから、ファンの感情を思って喉元まで「ごめんね」や「僕らも辛いよ」が出かかったことも、一度や二度ではないと思う。
5人が必要だと思って下した決断を「やっぱりやらない方がいいのかな」なんて思わせたらダメかなと思った。
彼らが時間をかけて出した結論を、もう引き戻せないその道を、絶対に後悔させてはいけないと思った。
だからこそ引き止めるようなことは言わない方がいいのかなって思ってた時期もあった。
でも今日のしやがれの最後の二宮くんの挨拶でそんなことなかったんだなあと思うことができた。
「寂しがってもらえるようなグループにいられて幸せだった」って言ってくれた。
寂しいよって伝えることを、愛だと受け取ってもらえてたんだって知ることができて本当に嬉しかった。
徹子さんの「お幸せに」という言葉で私の中でストンと納得できた。
腑に落ちた。
私がすべきことは活動休止に反対することでもなければ、活動休止を支持することでもなかったんだ。
私がすべきことは、5人のこれからの幸せを願うこと。
それだったんだ。
これからみんな新しい道を歩むけれど、絆を絶やさずに幸せに生きて欲しい。
幸せのために嵐がまた必要だと思うならいいタイミングもう一度集まればいいし、幸せのためには嵐でない形の方がいいと思うならそれがいい。
そうか、そういうことだったんだ。
どちらにしたって、私が望むべきは「5人の幸せ」、それだけだ。
私も徹子さんの真似をして、大晦日に嵐に「お幸せに」って言って5つの背中を見送ろうと思う。
覚えてて、それを思い出せる余裕があれば、だけど。笑
Hello, new dream!が教えてくれた。
「嵐にまた会えること」は私の「夢」なんだって。
そう思ったら少し楽になった。
自分の気持ちと嵐への想いをうまく同居させる術を見つけたような気がして。
再結集はお願いすることじゃない。
こちらが勝手に夢見てることなんだよ。
夢ならいいよね?
夢だけ持ったっていいんでしょ?
自分に嘘をついて見ないフリをするんじゃなくて、私の夢として持っていようかなと思った。
それも素敵じゃない?
2021年も、その先も、嵐にたっくさんの幸せがあるといいなあ。
一つワガママを言うなら、嵐がいつまでも嵐として走り続けた21年間を誇りに生きてくれたらうれしいな。
なんだかうまくまとまらないけど、今のありのままの気持ちを残しておきたいから書き留めました。
お読みいただきありがとうございます!