おおみそかのひとりごと
初めにお断りしますが、この記事はあくまで私の妄想です。
根拠があるわけじゃないし、私の願望もたくさん混じっています。こう捉えるのが好きだな、と思えた捉え方を書いただけです。言い切りの形で書いてしまっていても、あくまで妄想です。そこのところは把握、ご了承ください。
こんな話来年以降に書けないので今そっと残しておくだけの、とにかく私の中で消化したくて書いた記事です。考え方が合わないなと思ったら即閉じて忘れてください。
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大野さんが活動休止を切り出した理由について。昔から書いていた文章に、Ohno's daily を見て少し加筆しました。
嵐の活動休止が発表された時から、その提案が大野さん発だと知った時から、
大野さんはなんで事務所も辞めて嵐も辞めようと思ったのか、ってことをずーっと考えてたんですね。なんか納得いかなくて。
- 昔からやめたかった気持ちとは別物
デビュー頃からの、ずっと辞めたかった気持ちをようやく言えたのかな?と思ったりもした。積もり積もった気持ちがついに溢れてしまったのかな、と。
でも、そうじゃない。大野くんの言葉を追ってたらわかった。デビューの頃の「やめたい」は「なんだかよくわからないものから逃げたい」「閉じ込められる前に逃げ出したい」であって、その頃の気持ちは、15周年のハワイで大野くんの中で成仏したんだ。
- 「アイドル」が嫌になった訳じゃない
もしかして大野さんは何かから離れたいのだろうか?とも思った。歌うことに疲れてしまったの?アイドルでいることに疲れてしまったの?って。
でも、違うね。そうじゃない。今も歌うことが、踊ることが、アイドルでいることが好きだから、自分の中で許せるラインまで引き上げた姿じゃないと人に見せたくないんだ。そのためには努力も惜しまない。
けれども最近、どれだけ努力しても出来ない、身体的な限界を実感してきた。これは、常にできる限りの努力は全てしてきた人だからわかること。まだやってない努力があるのなら、それをやってみればまだ行けるかもしれない、という夢を見ることができるから。
常に、全力投球どころかその先へ挑み続けた人だけが見ることができる景色なんだ。「もうどれだけ頑張ってもあの頃みたいに輝かない」という景色は。
今回の嵐から離れたい気持ちは、嵐に失望してるんじゃない。自分に絶望してるんだ。だからこそ嵐側ができることが何もなくて、休止という決断まで行ったんじゃないかと思う。
「ああ、どんなに頑張っても今までの俺みたいにはもう出来ないんだ」年々、そう思う機会が増えていったのだと思う。そして、「このままでは近いうちにアイドルとして人前に立てるレベルを維持できなくなる」と思ったのではないか。仮に周りの人が求めるレベルは超えたとしても、「自分が自分に求める大野智のレベル」を超えられない可能性を見たのではないだろうか。そうなったとき、「求めるレベルより遥かに低いレベルの大野智が嵐にいるよりも、大野智が嵐を去るべきだ」とそう考えたのではないだろうか。
それなら、大野くんが永遠に嵐復活について濁しているのもわかる。彼の目的はこれ以上老いていく彼の姿を見せないことなのだから。
嵐が復活するためには、というか「大野智」が復活するためには、「自分が納得のいく大野智としてこれからもいられるという自信を持つ」か「すごくない大野智をさらけ出して受け入れてもらう覚悟をする」かどっちかだ。その覚悟をするための休止期間なのかもしれない。あるいは、それをしないで永遠に嵐という箱を閉じてしまうのか。
今までの大野くんの美学だったら確実に後者だ。美しいまま消えていく道を選ぶような気がする。だけど、まだ夢を見たい私がいる。
- 「自由」というものの大きさと深さ
もう一つは、「あるはずの自由を持っていないことに気づいたから」ではないかと思う。これは個展のパンフレットにかなり赤裸々に語ってくれているからそちらを確認して欲しいけど、自分の生きたいように生きようと思ったら、かなり不便な環境にいるということを知ってしまったから、そんな環境はおかしい、なんとかして変えなきゃと大野くんがたくさんもがいてくれた結果だと思う。
大野くんにとって「不自由」は嵐の輝きの代償でもなんでもなく、本当に文字通りの「不自由」なのだと思う。大野くんはたとえ苦しむとしても自由に苦しみ、自由にもがき、自由に生きたいと、そう考える人間な気がする。縛られて、自分が自分として生きられなくなる怖さは、嵐だからといって受け入れなければならないものではない。このまま「不自由」が大きくなっていくのは間違っている。この状況を変えなきゃ。そういう思いで切り出してくれたのかな、と思う時がある。
- 「嵐の活動休止」という結論を選んだ意味
当初は「大野智」の脱退を切り出した大野さんも、結局「嵐」の存続の話になるのはどこかでわかっていたんじゃないかと思う。あの5人が5人であることが嵐の意味だって、知っているから。それでも切り出したのは、メンバーへの深い愛があったからじゃないかと、勝手に思う。
自分が老いているのだ。数年後にはメンバーも老いを感じるようになる。嵐として納得のいく嵐でいられなくなる可能性があることを知ってしまった。最年長だからこそ自分が最初に見てしまった景色。それを見たときに、他の4人を、嵐を、守りたい、と思ったんじゃないだろうか。
「嵐だったからできなかったこと」も積もりに積もっている。このあたりで5人を嵐から解き放ってもいいのではないか。きっと彼らは、自らは手放そうとはしてくれないだろうけど、自分が嵐を休むからという理由で渋々でいいから嵐から開放してあげたい。そういう考えで切り出したんじゃないか。
- 5人が出した結論
でも、4人は大野くんが思うより、嵐のことも大野智のことも理解していたし、大好きだった。「今更何言ってんだよ」「人生は嵐にとっくに捧げてるよ」って、そう言ってくれたんじゃないか。
これからの人生を見据えて嵐の活動を一度止めるとしても、嵐の存在は取っておこうよって言ってくれたんじゃないかと思う。
時が来たらまた始めたっていいし、永遠に動かなくたって「嵐」の軌跡まで無かったことになんてさせないよって、そう笑ってくれたんじゃないか。
そうやって、あの決断が下されたんじゃないのかなあ。
なんてね。想像でしかないけど。彼らは絶対に、直接的な言葉で全てを説明したりはしないだろうけど。
「嵐にしかわからない」部分の最たるものなんだから。
でも、私はこれを考えることで「なんで!?」がおさまったし、自分なりに消化できたから、いいのかなあって。
まあ、こういう変な捉え方をしている変わった奴もいるんだなぁくらいに思っていただければ幸いです。
ここまで読んでくださった方、妄想ばっかりの駄文をお読みいただきありがとうございました。
今日のライブ楽しみましょう!!!!!