解散ではなく、活動休止
嵐が活動休止を発表しましたね。(ものっすごい今更感)
衝撃でした。「えっ、えっえっ」しか言えなかった。
「ギガが飛ぶ…!でもそんなこと言ってらんねえ!」と駅までの道でwi-fiがないのに動画を見たのをよく覚えています。
でも、悲しさはありませんでした。ただ戸惑っていました。「どういうこと?」「何が目的?」「具体的には?」というクエスチョンマークでいっぱいでした。
当時(と言っても一ヶ月前だけど)書いた原稿があるので備忘録として載せてみます。当時の戸惑いが伝わる笑。
多分休止直前は冷静じゃなくなると思うから、その時に読み返す用に。
太字が現在書き足した箇所です。
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休止しちゃうのかあ、そっかあ。
まあ確かに今まで一度も休止も、休止みたいな期間もなかったもんね。 疾走し続けてたもんね。
(少なくとも、嵐自身が歩みを緩めた時期はなかったような気がする。)
特に最近の数年はすり減らし続けてくれたもんね。このままじゃ生きたいようにも生きられない、いつか倒れるか人で無くなるかしてしまう。
その前に、誰かが言わなきゃいけなかった。「嵐を休まない?」って言わなきゃいけなかった。
これはファンの買いかぶりなのかもしれないけど、多分嵐は放っておいても人気がなくなったりしないから(というかそういうシステムを作り続けてきてくれたから)こういう形でしか嵐を畳むことはできなかった。
(この時は復活なんてないと思ってた)
「現在の嵐」があり続けることは嵐にとっても、関係者にとっても辛いことだったのかもしれない。
みんな直接は言わないけど、「このままじゃダメだ」と思い、そしてそのための打開策が一つしかないことに気付きながら見ないふりをして悶々としていたんじゃないかと思います。
誰かが言わなきゃいけなかった。他でもない「嵐」を救うために。
その役割を担ってくれた大野さんは紛れもなくリーダーです。大野智がリーダーだったのはもうこのための布石かなと思うぐらい。
「なんで嵐のリーダーは大野くんなの?」に対するベストアンサーは「嵐が自らの手で嵐を休止できるようにするためだよ」に決定です。
(これは本当にそう思う。「5人で話し合って」「活動休止という結論に至る」ためには大野さんがリーダーであることが必要だったよ。)
確かに、嵐の経済はバブル化してたしここ数年はいかに泡を割らないかってことに注力していたと思う。
このまま放っておけばいつか泡は弾けて落ちてゆく惨めな姿を見せることになったと思う。
その前に辞めることを決めたっていうのはやっぱり大野智の美学だなあと思うし嵐だなあと思うわけです。
大野智がリーダーじゃなかったらもっと早く辞めてしまってたかもしれない。
大野智は、リーダーじゃなかったらサクッと一人でやめてしまってたかもしれない。
嵐が5人で20周年を迎えて5人でグループをしめるためには大野くんがリーダーであることが必要条件だった。
なんかね、嵐がなくなるというよりは、「固定相場制だった嵐が変動相場制になった」感覚に近いんだよね。
「嵐」という枠で抑えてたものを解き放ってみましょうか みたいな。
(嵐がなくなるわけじゃない。嵐がビジネスチームでなくなるだけ。)
これで休止期間に誰も結婚しなかったら流石に怒りたい。
(これは今でも思ってる。アイドルの結婚についても記事書きたいんだけど、とりあえず私は結婚賛成派です。彼らなら「アイドルとしての自分」は独身のままでいてくれるってわかるから。)
絶対、「休止しちゃって申し訳ないな」なんて思わないでね。
むしろ必要だったと思わせてね。
今回、ちょっと嬉しかったんだ。
嵐が休止しないなら、必然的に「嵐」が終わるのは誰かが怪我や死亡で活動できなくなったときっていうのが一番現実的だったと思うんですよ。 それって五人の意思じゃなくて完全なる外的要因。
それってやっぱりファンとしては悔しかったり受け入れられなかったりするし、誰かを責めたくなっちゃうかもしれないから、1番五人を幸せに、ファンを幸せにする嵐の終わり方っていうのがこの決断だったんじゃないのかなあと思います。
(事実上の解散だと思ってた頃の感想)
ベイストームは残してほしいなあ!
充電期間に翔くんが上田くんにかけた言葉の重みは計り知れないな… 自らのグループを畳もうと話し合いつつの言葉でしょ…。 だってKAT-TUNの充電期間16年5月から17年いっぱいまででしょ? 翔くんにしか見えないこと、翔くんにしか言えないことば、きっとたくさんあったよね。
大野くんの言う「自由な生活」とはきっと「不自由でない生活」に過ぎないのだと思う。
嵐の苛烈さを感じるね。
今まで「嵐じゃなくても見れる夢」を全てなぎ倒しながら「嵐にしか見れない夢」を全て見て、私たちにも見せてくれて、本当にありがとう。
会見を見ている限り「大野さんが嵐から離れたい」こと自体を説得したりしてる様子はほとんど見られなくてなんか「らしいな」と思いました。
会見で痛感したのが「仕切り」「説得力」「政治語を話せる人」「人文学語を話せる人」「和ませ役」「笑いを取る人」「本音だけで話す人」「言葉の重みが伝わる人」が全員いるんだなあということです。
特に言葉が武器の人が二人、思ったことしか言わない人が3人いるのは強いなあと。
翔くんの隙のない、柔らかくてでも格式高い本音を喋れる話術も、ニノのトリッキーな話法で相手の注目を思うがままに操る話法も見ていて気持ちよかったです。
翔くんの「無責任では?」に対する回答の何がすごいかって、謙虚に答えてるように見せといて、よく知らない人には「あんな質問にも丁寧に答えて偉いねえ」とか言われるけどファンは「これ翻訳すると『見ねえお前は黙ってろ』だな」とわかるところですね。
(活動休止会見の感想じゃないよな、「見ていて気持ちよかった」とかさ。でもそう思ったんだよ。)
誰かいなくても、誰か多くても今回の決断には至らなかっただろうなと思わせてくれるから好きなんだよ。
あ!ねえ!あーーーわーー!だからuntitledのユニット曲で大野さんは四人全員と組めるようになってたの?そういうこと?
(動揺が…笑笑。でも、あの二曲は「大野智と最後にやりたいこと」だったんじゃないかという気はする。)
休止発表を聞いたときは悲しいとか嫌とかいうよりもただただ混乱しました。
途中から「これは新しいプロジェクトの発表会見かな?」みたいな(後から考えたらある意味あってたんだけど)
(今考えると、「嵐」の定義変更会見だったのかなって。2020年以降「嵐」はプロジェクト名ではなく彼ら5人だけの呼称となるし、休止を挟みながら活動していくこともできる。)
「これは現実のことだ」と認識するのに1日、「嵐が活動休止するんだ」と認識するのに1日、「休止は2年後だ」と認識するのに1日かかりました。
およそ2日ぐらいは「もうすぐ嵐がいなくなっちゃう!?」ってことしか考えられなかった。
(この時個人的に大きな選択を迫られていて、脳のキャパがあんまりなかったっていうのもある)
復活もあるらしいからなんとも言えないけど、「嵐」という言葉が表すのは今のプロジェクトじゃなくなることはわかった。
想像するに、
「大野さんが休みたい」
→「今の『嵐』の定義で活動し続けることは無理だ」
→「嵐という存在自体は無くしたくない」
→「嵐の定義から考え直そう」
→「「歌って踊る」とか「番組がある」とか「アイドル」とか「芸能人」とかそういう枠を全て捨てて「この五人」というところまで落とし込む
という感じなんじゃないかと。
今まで嵐は「この五人」かつ「この五人とスタッフ」かつ「プロジェクトチーム」だったんだけど、今回嵐というものを残すために必要条件をいくつか振い落とした。
(これが彼らの活動休止の真の目的なんじゃないかと思う。)
活動休止報告に対して「あったまいいーー!!」って言うものじゃないと思うけど、「大野くんが嵐をやめる」代わりに「嵐にビジネスチームであることを辞めてもらった」嵐はなんて賢いんだろうと思う。
「嵐が存在すること」と「嵐が活動すること」を分けてくれた人誰?マジで感謝しかない
(もうほんとこれに尽きる。解散は存在の消滅だけど、活動休止は嵐が存在してないとできないんですよ)
今回の決断の肝はそこだと思うしほんと金一封差し上げます
今回の決断がうまくいった理由
・お互いの尊重と信頼が確固たるものになっていたこと
・一年かけて話し合ったこと
・事務所の人など五人以外とも話し合ったこと
・嵐の存在と活動を分けたこと
嵐の休止発表の何がすごいかって「2年後でもフィナーレを祝えるくらい高いところにいるからな!」っていう決意表明が実は入っているところだと思う
(いやあ、痺れるよね。かっこいいよね。)
「嵐を続ける」ということは「嵐として挑まなければいけない勝負に連戦連勝する」ということだからさ。
大勝するときもあれば僅差ですり抜けたときもあったと思う。
時には勝負の形を変えたり戦い方をひねったりしながらここまできたんだと思う。
嵐は「思いっきり勝つこと」より「負けないこと」「確実に勝つこと」を大事にしてきたから。
しかも何が勝ちなのかわからない世界で。
自分たちが本当に守りぬかなければいけないものは何か、勝つということはどういうことかを考えて、選びとってきたから今があるのだと思う。
この「勝つということはどういうことかを考える」という作業においてニノが大活躍してるイメージ。
今回の活動休止もこれだなあ。
「嵐として守り抜かなければならないことは何か?」ってたくさん考えてくれたんだろうし、その結果
「夢を与えるアイドルであること」でもなく
「ビジネスが成り立つこと」でもなく
「人気のある芸能グループであること」でもなく
『五人でいること』『五人の総称であること』を選んでくれた彼らには感謝しかないよ。
嵐が活動休止って聞いて二宮くんのベイストでのゾンビ発言を思い出した。
「嵐がもし一人ずつゾンビに食われるのなら悲しみたくないから一番先に俺が死にたい」ってやつ。
絶対に誰かを失う悲しみを味わいたくないっていうわがままなほどの愛を感じていたけど二宮くんはそれを「嵐」でやったんだなあ。
最後まで完全な綺麗な嵐を保つ一番の方法は自分で嵐の命を絶つことだもんね。
(これも復活はないと思ってた時の感想)
嵐が復活するのなら、休止は複数回できるってことだ。
そして多分嵐はそれを目論んでる。
20年までが走り続けた第1章、その先は休止を挟みながら活動する第2章じゃないかな?その方がいろいろと良いと思う。
(zeroの翔くんの発言は衝撃でした。「活動休止」の意味を根本から考え直しました。復活可能ということは、「2回目の活動休止が存在しうる」ってことだから。)
あと、彼らは多分休止中も堂々と「嵐です」って名乗る気がする。「ちょっと今お休みしてるんですよ〜。」みたいな。
誰にも「元嵐」なんて言わせないんだろうな。
(むしろそれを望んでるよ!)
今は休止に対して悲しいって感情はないです。
これから復活しようがどっちでも良いです。
冷たいように聞こえるかもしれないけど、活動してる嵐を(或いは活動休止している嵐を)応援するかどうかを決めるのがファンであって、活動するかどうかの決定は私達の仕事じゃない。
嵐という存在がなくなってしまったら、そもそも休止するべき「嵐の活動」がなくなってしまって活動休止なんてできないので「活動休止」って嵐の存在ありきの言葉だよ。
で、嵐ってめちゃくちゃ賢いので「活動休止」という単語を選んだ意味がわかってないわけがない。
だからあの五人が「活動休止」と言ったことが「嵐が存在し続ける」ことの根拠だよ。
(zeroの翔くんの発言考察ですね。)
翔くん嵐の活動休止の話し合いの時大野くんに一つだけ黙ってたことあるでしょ。
「今回の決断で行く場合、あなたが休んでる間もあなたは嵐だからね」ってことを黙ってたんじゃないの…?
それで擬似的なお休みをあげたんでしょ。
まあでも、大野くんもとんでもなく鋭いから、なんとなく勘付いてると思うけど申し訳なさと優しさで騙されたふりして休みに入るんでしょ?そんな気がする。
エモい。
(エモいで逃げる癖あるの本当に良くない)
まあダーーッと書いて、書きながら整理して、私の今の見解としては
・活動休止はプロジェクトとして膨らみすぎた「嵐」を5人の呼び名に戻すための手段
・復活はするだろう
・嵐は、復活以降は休止を定期的に挟みながら活動していこうとしているのではないか
・活動休止中も「嵐」は存在する、ただ活動しないだけ
・経緯は、
大野くん「嵐の活動休みたい」
みんな「嵐を解散したくない」
「五人じゃないと嵐じゃない」
↓
~話し合い中~
↓
五人「嵐の存在は残しておいて、嵐としてのビジネスをお休みしよっか」
という感じかな?
・嵐がこの世界にある限り、私は嵐を応援するだろうな
という感じです。
もちろんまだ嵐が明かしていないこともたくさんあると思うけど、私の気持ちとして整理できたのでよかったです。読んでくれた人、つき合わせちゃってごめんなさい。
2020年までもその先も、嵐に幸あれ。