私のヲタク履歴書②〜嵐のファンになる〜
さて、嵐のファンにならず嵐のヲタクとなった私はそれなりに楽しい日々を過ごしていました。「自分はファンではない」と信じていたので、「好きな芸能人は?」と聞かれても「特にいないかな〜」と答える日々でした。
気ままにしやがれやVSを見たり、ネットの情報を漁ったり。しかし、私は二つのことを忘れていました。
1つは、見れないものは見たくなるということ。
速度制限でYouTubeのお預けを食らっていたせいで、どうしても見たい動画が溜まっていき、「見れたら見ようかな」から「次速度制限終わったら絶対に見てやる!」に進化したんです。
もう1つは、彼らはプロのアイドルだということ。
もうね、プロなんですよ。
たまたま顔がかっこいいわけじゃない。彼らの素質磨きと魅せ方の研究の賜物。たまたま話が面白い人が集まってるわけじゃない。展開とかバランスとかすごく考えてくれてる。たまたまかっこよくて面白くて優しい5人が集まったわけじゃない。そういう人に「なって」くれてる。
なにも考えてないでやる人と「次も見てほしい」「嵐のことを好きになってほしい」「面白くしたい」と思ってやってる人との差は歴然です。
そんなプロのアイドルを毎週みて、好きにならないわけがない。嵐は「来てくれた人を絶対に離さないアイドル」なのです。
自分の意思で「見たい」と思った人をファンにせず返すなんてこと、嵐はしない。
そんなわけで嵐に完敗し(私がちょろかっただけという説もある)、もしかして私嵐ファン?って感じにまでなりました。
時期でいうと、初めて自分で買ったCDはsakuraです。
でもその頃、部活で後輩が「最近嵐ファンになりました!昔のこととかあんまり知らないけどとにかくかっこいいんですよ!」と言ってきて、私の方が嵐について色々知ってるから教えてあげたいけど、そうなると私が嵐ファンだってこと言わなきゃいけないし、ずっと「好きな芸能人はいない」と言っていたのに今さら「私も嵐好きなんだ」なんて言えないよ… って悩んでました。
つまり、知識を得てから好きになってしまったために、ファンになったことを公言する機会を失ったんです。
でも後輩と嵐の話をしたいな…と悶々としていました。
そんなこんなでやっぱり嵐ファンであることを黙っていた2016年3月、あの男がやりました。
そうです。第39回日本アカデミー賞です。二宮和也が最優秀主演男優賞をとったあの第39回です。
あの受賞スピーチを、黒木華ちゃんの受賞に涙を流している二宮和也を見て、唐突に「ああ、私この人のファンでよかった」と思ったんです。
「私はこんなに美しい生き方をする人を応援してるんだ」という誇りを持ったんです。
それまでは、なんとなく「今さらファンを公言すること」「ジャニーズが好きなこと」「そこまで熱量があるわけじゃないこと」に後ろめたさを持っていました。
でもこの時から、「こんな素敵な人を応援してるのに、後ろめたいことなどあるものか」と思うようになり、自分が嵐ファンであることを認めました。
一度認めたら、行動範囲も変わりました。テレビやラジオだけで満足していた私が、ファンクラブに入り、コンサートに申し込むようになりました。
彼らが1番大切にしている仕事を見てみたいと思うようになりました。
少しずつだったけど友達に嵐ファンと言えるようになり、Twitterで嵐アカウントを作りました。
Twitterって最終兵器じゃないですか?1番面白いところだけ集めた動画がたくさんあるし、何がいいのか力説してくれる。
深くハマらないわけがない。
そうして現在の私があるわけです。
今思うと、「ファンでよかった」と思った時が、私が嵐ファンになったときだったなあ。
これが私の嵐ファンになるまでの経歴です。
この後「堂本剛突発性難聴になる」というニュースを見て「堂本剛って誰?」と思ってTSUTAYAでKinKi Kidsのベストアルバムを借りてキンキ沼に転げ落ちる話や、翔くんの話にちょいちょい出てくる菊池風磨って誰?と思って調べてそのまま中島健人にハマる(ちっともそのままじゃない)話もあるのですが、一度ジャニーズに足を踏み入れたものにとって、嵐以降のジャニーズは一瞬でした。瞬殺。もう書くことがないレベル。
私の中で「ヲタク」と「ファン」という言葉が違う意味なのはこういう経緯があったからでもあります。
「この人のことを深く知りたい、考察したい」と「かっこいい、素敵、応援したい」は必ずしも一致しないと思います。
前者がヲタクで後者がファンですね。
(だって二宮くんとか、葉担トップだけど松本ヲタクな気がしません?)
とりあえず、このブログを始める上で書かなければいけないと思っていたので書けてよかった。
そろそろ私の話じゃなくて嵐についての記事を書きたい。(希望で終わるんかい)