「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

わあ好き!と思った事を書き殴るための場所です。書いた私も「正しさ」は信じていません。

KinKi Kidsってどんな人?

KinKi Kidsが気になってる」という友達に布教するために、数年前にKinKi沼に落ちたひよっこオタクの私が書いた文章を、加筆修正したものです。つまり、布教用資料です。沼入りしやすそうな項目を私の独断と偏見で選び重点的に書いています。

ファンでない人に向けて説明として書いた部分と、私が書きたくて書いたマニアックな部分が混在しているので、気になるところだけ読んでもらえれば。

※私の見解や感想が入りまくっています。まだまだ理解が甘いところや足りないところも多くあるかと思います。ご了承ください。

 

 

 

この記事ではソロの仕事は外して、「KinKi Kidsとは」「KinKi Kidsの光一さんとは」「KinKi Kidsの剛さんとは」に絞りました。

お二人のソロのお仕事も大変素晴らしいので、気になる方は是非そちらも調べてみてください!(剛さんソロプロジェクトhttps://tsuyoshi.in/はサブスク解禁してるよ!)

 

 

 

 

前書きが長くなりました。ではどうぞ。

 

 

目次

・はじめに

・出会い

・光一さんについて

・剛さんについて

・愛情表現の変遷

・試練に打ち勝つ絆

・2人にしかわからない関係性

・おまけ(より詳しく知りたい方はこちらへ)

 

 

 

・はじめに

入所きっかけと家族構成は同じ。きっかけは「姉が履歴書を送ったから」、家族構成は両親と姉。

誕生日は100日違い(1979年の1月1日生まれが光一さん、4月10日生まれが剛さん)で、光一さんが早生まれのため1学年先輩。そのため人生経験的なところは光一さんがリードするが、性格でいう「しっかり者」は剛さん。

 


・出会い

ジャニーさんから光GENJIの5月5日コンサートに呼ばれて初対面。関西から横アリのコンサートに来てもらったので夜はホテルで、初対面から同室。初の会話は「テレビ何にする?」

剛さんは「名字も一緒で組まされること多いし多分デビューこいつとだな」と予感、光一さんは「出会った瞬間からビビッと来た、俺はこいつとやっていくんだと思った」と語る。

なお同じ苗字であったことについては、剛さんは「そんなわけないと思った、光一が嘘ついて楽しんでるんだろうと」と言い、光一さんは「運命だと思った」と話している。

 


・光一さんについて

兵庫県芦屋市出身。お父様は保険会社の偉い方でお母様はお茶の先生。父が保険会社勤めで転勤族ゆえに若い時から自分の常識を他人に押し付けない術を心得る。良家生まれなのでめちゃくちゃ育ちがいい。咄嗟のリアクションが人に嫌われない、姿勢がいい、礼儀作法がしっかりしてるなど、とにかく「育ちがいい」。

光一さんは「パン」と言うチワワを飼っている。本当は光一さんのお母様が飼うはずだったが、チワワがあまりに可愛くって光一さんが志願して飼った。軽度の犬アレルギーだが飼っちゃうくらいベタ惚れ。のんびり屋さん、甘えん坊、潤んだ黒目がちな瞳などから「相方に似ている」との声多数。また、剛さんに触られているのがあまりにも慣れているため頻繁にKinKi Kidsの楽屋にパンを連れて行っているのではないかと推測される。3月のインスタライブではパンを映した画面に見惚れ「うわっ、かわいっ」しか言えなくなる10秒が配信された。

 


・剛さんについて

奈良県奈良市出身。お家にお父さんが滝を作ろうと思えば作れるほどの庭がある。庭にバスケットゴールも作ってくれたそうなので多分大豪邸。今でも春になると毎年母と姉と桜を見にいくくらい家族とは親密な付き合い。剛は小学校時代から子役をしており、12歳で子役は引退している。そのせいか大人の汚さみたいなものに鋭い。

アーティスト。芸術と呼べるものに関しては基本的に筋がいい。絵も書も花道も歌も楽器も一通り上手い。

ペットはケンシロウとタイソンという犬を飼っていたが今は2匹とも亡くなっている。現在はエンドリケリーという古代魚をはじめとした魚を飼っている。ソロプロジェクトのENDRECHERIの名はここから。

 


・愛情表現の変遷

2人ともプロ意識が高く仕事人なので割り切れば基本何でもこなすが、根本は口下手でシャイで不器用。なのに愛情表現がないと不安になるタイプ。

デビュー当時は剛さんが光一さんに「大好き」「愛してる」をめちゃくちゃ言っていたが光一は照れてつっけんどんにするか流すか。しかし数年後、剛さんが多忙とストレスでパニック障害過呼吸をメインに胃痛や頭痛などストレスが原因とされる症状を併発し、疲弊。メンタルも不安定になる。すると今度は光一さんが辛抱強く「ありのままのお前がいい」「愛してるよ」を伝え続けるようになった。「剛のことは僕が守ります」という名言も残す。

剛さんのストレスは、感じやすく気にしいゆえにめまぐるしい日々の出来事と様々な思惑が交錯する芸能界についていけなかったためと言われる。おそらく剛さんと比べられた光一さんに向けられた誹謗中傷にすら心を痛めていたと思われる。現在はストレス性の病気とはうまく付き合えるようになったらしい(完治ではない)。壮絶な痛みを知る剛さんだからこそ、絶望からもがいて生きる様を歌う曲には定評がある。

 


・試練に打ち勝つ絆

剛さんがストレス系の病気とうまく付き合えるようになって十数年後、剛さんの靭帯が裂け激しいダンスが踊れなくなる。さらに20周年イヤーに剛さんが突発性難聴を発症。20周年記念ドラマ撮影のため治療が遅れ、現在も耳鳴りやノイズ、難聴に苦しめられる。コンサートの音圧に耐えられなくなったためデビューから連続で行ってきたドームコンサートもストップ。今でもヘッドホンをつけての歌唱。(最近はノイズキャンセリングイヤホンでの挑戦も行っている。)

20周年記念のファンイベントも剛さんは中継で参加。その時中継先から歌ってくれたのが「君がいる ただそれだけで壊れるくらい強くなれるよ」「どんな遠く離れていても 届くはずさ my Heart 」という歌(to Heartという名曲)。ファンはもれなく涙した。ちなみに、光一さんから中継先の剛さんに送ったのは過去の堂本剛ソロ曲である「ひとりじゃない」。お前ら…涙。

耳を患った時の剛くんは「自分がいない方がいいのなら」と離れようとしていた気がするけど、それは悲痛な「それでも一緒にいたいよ」の表れであったことをリアルタイムでわかってあげて引き止めてくれた光一さん。

あの頃の2人はまるで「私もう会わない方がいいよね」「あなたの迷惑でしかないよね」「一緒にいるの辛いよ」と泣きじゃくりながら胸に顔を埋める彼女と「そうだね」と言いながら頭を撫で強く抱きしめて絶対に彼女を離さない彼氏のようだった。

満足に縋ることもできなかった剛くんに何度でも「俺に縋れ」と言ってくれた光一さん、本当にありがとう。

剛さんが苦しんでいる時に「無理しないで」ではなく「頑張ろうね」と誘ってくれた光一さんは目から鱗だっただろうし泣きたくなるくらい心強かっただろう。“無理をしてでも頑張らなきゃいけないこともある、でもそれは2人で頑張るんだ”ってことなのだから。泣くよ。

2019年、2人の恩師であるジャニーさんが天に昇る。2人の悲しみは大きく、共依存しかねない状態だったが、今度は剛さんが献身的に光一さんの悲しみを受け止め支えた。光一さんが訃報から時間がたたないうちに悲しみ切り、剛さんが相方を慰めるという形が、彼らが悲しみを乗り越えるための形だった。その形の結晶として生まれたKANZAI BOYA(https://youtu.be/69XXvqoxHIA)とYOU…は大切な曲だ。

あの時、全てを光一さんに宿すのは辛いならその悲しみも責任も僕が引き受けるよと言ってくれつつ、実際は光一さんごと抱きしめてそこからいくらか悲しみを引き抜いて自分のポケットに入れてくれたのが剛さんだよね。ありがとう。

 


・2人にしかわからない関係性

剛さんは求められてないときは割となんでも言えるんだけど、相手に待ち構えられてしまうと何も言えない。察するのが異様に上手。上辺だけのコミュニケーションも瞬時に見抜く。

光一さんはキザなことが言えないため、言うなら超どストレート。どストレートに言うし、どストレートに言われないとわかんない。基本的にベタベタした愛情表現はしないが、いざするときは「客観的に聞いたらどう聞こえるか」と言う視点がすっぽり抜け落ちているため爆弾発言も多い。(ファンは喜んで被弾する)多忙すぎてフィルムコンサートをソロでやったりした時期を経て、2人揃った時に「やっぱりお前とじゃなきゃダメだ!」と抱きつく。剛さんは「前からそう言ってたじゃないですか」と破顔。

光一さんは察するのは下手だが感じ取るのが異様に上手いので、言動の観察からではなく顔を一目見ただけで「今日は剛疲れてんな」などとわかる。看破しまくる剛とうまくやっていけるのはひとえにこの能力のおかげ。 

自らのことを「夫婦のような関係性」と言うが、BL云々の話では無く、あくまで「他人に邪推されようが本人たちにしか分からない仲がある」「阿吽の呼吸で分かり合える」という意味で用いる。役割分担的には剛が妻らしい。

 


・おまけ

基本、話を聞くときは相手の顔を見るのでカメラがどこにあろうが客がどこにいようが相方が正面。相方にしか見せない優しい笑顔はアイドルスマイルとは似て非なるもの。光一は照れると剛に向かって雪崩れるように笑いゆらゆらしだすが、剛は照れると顔の直視すらできないらしく少し顔を背けて破顔する。コロナの影響でリモート通話をテレビで行い、ファンは初めて相方に向ける笑顔を正面から見ることができた。

 

コンサートは毎年大晦日と正月に行うため1日は光一さんのお誕生日会と化す。剛さんが毎年絵や字(めちゃくちゃ上手い)を描いた色紙をくれるが「いらんよお」「ほんまにいらん」「どうしたらええねん」と言っていた。しかしある年色紙をあげなかったら「今年は色紙はないのか?」と聞いてきた。(伝説のφコンである)その時の剛さんの口惜しそうな顔ったら。当たり前のように次の年から色紙の枚数が増えた。そして繰り返される「いらんよお」のターン。ファンはただ見守るばかり。(このやりとりはコンサートのMCで行われている)

ちなみに色紙がなかった年はキッスがあったので剛さんは「今年はキスしたやないか」で切り抜ける。このキスも、長瀬くんに頬キスされた光一さんの「俺今年最初のキス長瀬智也だぜ?」という言葉により着火された剛くんが、負けないよう光一さんの初唇キッスになるべく挑んだもの。お前ら…

 

2人ともギターが弾け作詞作曲ができる。(剛さんはドラムでもギターでもピアノでもベースでもなんでもできる、トロンボーンすらいける)2人の合作は光一さんが作曲、剛さんが作詞のことが多い。光一さんの曲に剛さんが詩をつける方式で作られたのが恋涙、愛のかたまり、銀色 暗号、topaz loveなど。この4曲は死ぬほどいいので聴いてほしい。

私が沼入りした時は2人がパソコン強いの結構意外だった。「最近のネットはわからんわあ」とか言いそうだと思ってた。けど全くそんなことない。作曲・ミックスなんでもござれだし光一さんはゲーム廃人なのでネットスラングすら使いこなす。


高校生時代が最も多忙で「日本一忙しい高校生」と呼ばれた。バラエティもドラマもラジオもCMもほぼ途切れることなくあった。デビュー前から金田一や銀狼など大きな仕事もやり、2人はデビューせず今で言う生田斗真とか風間俊介路線ではないかと本人たちが思っていた時期もあったが、18歳で満を持してデビュー。すでに知名度もあったのでデビュー曲「硝子の少年」は爆発的に売れ、今でも歴代ジャニーズデビュー曲の中で最多売り上げ。なお、シングルの連続オリコンランキング1位獲得数のギネス記録も持っており、今も記録を更新し続けている。


光一さんがドドドドド理系。認知科学とか相対性理論とかが好き。ド文系・どアーティスト気質の剛さんとよく思考がずれるが本人たちはその思考のズレを楽しんでいる模様。


剛さんはとりあえず作ってそれをどんどんブラッシュアップ型、光一さんは完璧に作り込んでから世に放つタイプ。そのため剛さんは光一さんに作詞や作曲をたくさんしてもらいたがっているが、光一さんは自分の基準値を超えないと完成ではないので「完成する保証がない」といつも渋る。お互いにお互いの才能に惚れ込んでいる。コンサートのMCで大勢の客を前に光一が剛の詩を褒めたことも。もちろん剛さんが光一さんの曲を褒めたことも。

 

 

 

 

以上です。

楽曲についてあまり触れていませんが、それは私がどうこう言うよりもまず聴いてみてほしいから。何から聴いたらいいかわからない方は手始めにベストアルバム(The BEST(通常盤) https://www.amazon.co.jp/dp/B076ZCH8WF/ref=cm_sw_r_cp_api_i_HRMMW25BRWW9T6VZ6K29)を聴いてほしいです。私は夏模様という曲が特に好きです。

音楽面での軌跡をあまり書けなかったのは私の勉強不足ゆえです。生半可な知識では書けないなと思い、この記事ではカットしました。2人が触れてきた音楽も、2人の音楽の師である皆様も本当に素晴らしいので、お二人の音楽の軌跡について知りたい方は、ぜひ調べてみてください。私ももっと勉強します!

2人の伝説級のエピソードはいくらでも転がっているので「他のエピソードも気になる!」という方は是非調べてみてください。

 

 

もし「KinKi Kidsって…?」という方がこの記事を読んでくださり「KinKi Kids良さげじゃん!」と思ってくれたらこんなに嬉しいことはありません。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました!