牙落ちの潤 ー松本潤は天使か?ー
松本潤ってやたら「天使」って言われますよね。「天使!」「天使すぎる」「天使かよ〜」みたいな。
わかります。私もよく言ってしまう。
でも、当たり前ですけど松本潤は天使ではないわけで。彼は人間です。(かなりシュールな文ですね)
よって、潤くんに向けられてる「天使」という言葉は形容詞です。「天使すぎる」「とても天使」という活用からも「天使」が形容詞であることがわかります。
では、この形容詞としての「天使」とはどういう意味でしょうか?
優しい・神聖・美しい・清らかなどたくさんの意味合いで使われていると思いますが、私が松本潤に限らず「天使」を使いたくなるのは、
世俗的な人間にはあるはずのものが「ない」とき
です。
「疑い」がなかったり、「怠惰」がなかったり。
では、松本潤には何が「ない」のか。
私は、それは「牙」ではないかと思います。野生動物が自分を守るために相手を攻撃し、致命傷を負わせる牙。ちゃんとした言葉で言うと「対外攻撃力」になるのかな。
この「牙」がない人のことを私は勝手に「牙落ち」と呼んでいます。(語呂がいいだけ)
今回のタイトルもこれです。潤くんは牙落ちなのではないかという話をこれからしていきます。
嵐は「自分」の定義に背いたものに容赦なく牙を剥きます。「自分たち」「嵐」に刃向かうものにも牙を剥く。普段のほほんと平和にしてるのに、嵐の誰かに刃が向いた時、5人とも瞬時に臨戦態勢に入ります。
この時、「牙を剥く」という行為自体は5人ともしています。
ただし、潤くんだけ、牙を剥いても、そこに牙はない。ガッと口を開いたときに、見えるはずの牙がない。
そんな気がします。
嵐の他の4人は鋭い牙を持っています。
翔くんはわかりやすく「研いだ爪隠し牙を剥く」とリリックで歌ってくれてますが、他の人にも確かに牙があります。その中では、翔くんとニノ、リーダーと相葉くんでタイプが違います。
磁石の牙は理性と同時に使える牙。この2人は一度牙を剥いたら確実に敵を仕留めてきます。ときどきペティナイフのように、こまごましたものをスパスパ切っていたりもします。
天然コンビの牙は、許せないと思った時に理性を超えて働く牙。2人とも滅多なことでは使いませんし、使うことを恐れていますが、その攻撃力は磁石の比ではないと思います。薙刀のようなイメージ。
どちらも恐ろしい牙だけど、彼らは自分の牙の特性や扱い方を心得て使いこなしています。
一方、牙を持たずに生まれてきてしまったのが潤くんです。
潤くんを兄ズがみんなして守ったり代わりに戦ったりする姿が時折見られますが、潤くんは甘えて戦わないのではなく、戦いたくても牙が「ない」のです。それゆえに守られている様子が「天使」に見えるのだと思います。
潤くんは時々「傷つきやすい」と言われますが、それはヤワだという意味ではなく、攻撃してくる相手を倒すことができないために、相手が攻撃してくる限り傷を負い続けるという意味ではないかと思います。
こう書くと牙落ちは不憫な人のようですが、「牙がない」ことはメリットでもあります。
牙落ちの人は相手に致命傷を負わせることが不可能なので、相手に思いっ切り噛み付くことができます。普通の人ならそこまで噛み付いてしまうと相手を殺しかねないような噛みつきも、牙がないゆえに可能になります。
潤くんじゃない人がやったらその後関係悪化間違いなしだろと思うことも、潤くんがやる故にその後も仲良くしている人がいるのは、潤くんに牙がないからじゃないかな。
牙のある人は思うままに攻撃していたら相手を殺しかねないので自制が必要ですが、そもそも牙がない人は、諸刃の剣である代替攻撃力(後述します)を手にしていない限り、比較的本気で怒ることができます。そのため抑え込まなければならない不満の量が少なく、膿が溜まりにくい。だから常にまっさらな状態でいやすいのです。ここが潤くんが「清らか」と言われる所以かなとも思います。
この「牙落ち」の概念を使うと潤くんの反抗期やキャラ変がうまく説明できる気がします。
多分、潤くんは尖ってた頃、「牙」が欲しかった。
自分を、自分の大切なものを守るために戦うときに必要な牙が欲しかった。
幼い頃はたっぷりと愛されて、それにうまく甘えながら生きてきたけれど、大きくなるとそうもいかない。牙落ちであることを自覚するまで、彼にとって「自立」は最重要課題でした。
でも、どんなに待っても、ない牙は生えてこない。牙が小さかったり弱かったりするのではなく、「ない」のだから。
そこで潤くんは牙に代わる武器を後天的に手に入れようとしたのではないかと思います。(これを代替攻撃力と呼ぶことにします。)
しかし、牙落ちである潤くんにとって「牙に代わる攻撃手段を得る」ことは「潤くんが牙になる」事と同義です。これはとても苦しいし難しいことです。
この「自分が牙になる」についてうまい説明を考えてたんですが、どうしてもプリキュアしか出てこないのでプリキュアで説明します。
ヲタク履歴書にも書きましたが、私プリキュア大好きなんです。で、フレッシュプリキュアに「キュアパッション」っていうのがいるんですよ。(しばらく続きます)
彼女は「初の光堕ちキュア」とも言われていて、最初は悪者側だったんですが、プリキュア達の愛と信頼を受けて自分自身の良心に気づき、プリキュアになります。
でも彼女もサラっと悪の組織を抜けたわけではなくて、プリキュアに対する極度の憎しみが最後の最後で愛に裏返ってプリキュアになるんです。で、その極度の憎しみの時に、最強の能力を手に入れようとするんです。そのとき彼女が手を出したのが自分自身のエネルギーを糧とする、「ナキサケーベ」という怪物です。これは、はちゃめちゃに強いんだけど、それと引き換えに使う度彼女の体が蝕まれていく。「彼女自身を攻撃の道具にする」能力だったんです。
彼女は「強い武器が欲しい」ということしか考えられなくなっていて、今自分が使っている能力が自分にどんな影響を与えているかに気付かないまま、自分自身を蝕んで強い力を手に入れていった。
いや、内面的な部分は違うかもしれないけど、私が2次創作するならこういうシナリオにします。(おいコラ)
キュアパッションの話じゃない。危ない危ない。キュアパッションのその後が知りたい人はフレッシュプリキュア見てみてください。
このキュアパッション(この時は前段階のイース)が手にしたナキサケーベのように、潤くんにとって後天的に手に入れた「牙」すなわち代替攻撃力は、潤くん自身にも刃を向けていたんじゃないかと思うんですよね。
牙落ちにとっての代替攻撃力は、直接的に言えば「意識的に相手に攻撃的になる」ことなんですけど、これをすればするほど自分の苦しみが増えていく。自分本来の牙でないからターゲットの決定や加減が難しい。
牙落ちの人にとって、代替攻撃力は相手を攻撃すればするほど自分が蝕まれていく、諸刃の剣です。
一つ違うところは、ナキサケーベは邪悪な怪物ですが、潤くんの求めた攻撃力はあくまで「大切な人を守る」ためのものです。
この自分に刃が向いた攻撃力のせいで、
“許せない人を倒せば倒すほど自分が苦しい。かといって戦いを人に任せてばかりも嫌だ。”
という葛藤があったのが、いわゆる「ギラギラしてた」「反抗期」と呼ばれる時期なのではないかと思います。
潤くんは一度は諸刃の剣である代替攻撃力を手に入れたけれど、後にそれを手放し、「自分を傷つけてくる人を倒す」という行為を諦めた。代わりに、自分が傷を負っても歩き続けられるように、自分という人格を鍛え始めた。そしてようやく自分がある程度鍛えられて、牙がなくても1人でも歩いていけるようになった頃、「MJ」が生まれた(というか生み出した)のだと思います。
潤くんが「ボクらの時代」で「僕は30で諦めた」「すげー楽になった」と言っていましたが、この時彼が諦めたものの一つに、「自分1人で相手を倒せるほどの攻撃力を手に入れること」があったのではないでしょうか。
私は嵐が現在のチーム体制を築いたのはこの5年ほどだと思ってるんですが、それがちょうどThis is MJが始まったあたりなんですよね。
だから、牙落ちの潤くんが代替武器を手にするのではなく、打たれ強い牙落ちとして生きていくことにしたのが、潤くんにとっても、嵐にとっても一つの転換ポイントだったんじゃないかと思います。
しかし、それでもやはり時には戦わなければならない相手、倒さなければならない相手と遭遇します。
そんな時、潤くんが戦いを頼める人、戦ってもらう代わりに自分も何かを返せる人、それこそが嵐の4人だったのではないかと思います。
よかったね潤くん…あなたが真っ直ぐに歩み続けた結果だよ!
潤くんが嵐に献身的なのは、「自分の代わりに戦ってもらっている」という気持ちを深層心理として常に持ってるからかなあと思う時があります。
潤くんは嵐のメンバーにやたら可愛いがられたり過保護に守られているように見えますが、それはメンバーが「潤くんが牙落ちである」ことを体感で理解しているからなんじゃないのかな。
そんな、潤くんは天使というより牙落ちなのでは?というお話でした。
なんだか抽象的な表現のまま最後まで来てしまった。わかりにくい話になってしまってすみません。
あなたが人を頼ることは「甘え」じゃないよ、牙落ちの人が生きていくために必要なことなのよ、むしろそこに甘んじない潤くんは素敵よ、と言いたかった。
潤くんの「甘えること」に甘んじないところが好きです。
そんな話でした。
(どうでもいいんですけど「牙落ちの潤」ってめっちゃ語呂良くないですか?)
では。