untitled曲解 ~Dear ARASHI~
『僕は思うんだ。この世界が終わろうとも、君を失いたくない。この星たちのように生まれ変わってもまた巡り会おう。』
嵐の活動休止発表後に初めてuntitled見たんですよ。
そしたら、私の胸にぐっさりと刺さってしまったのが冒頭の言葉です。
なんの言葉がわかりますか?歌詞じゃないです。
そうです。あれです。Junctionです。
Junction -愛-の二宮くんのセリフです。
なんかもうこれを聞いた瞬間に「ニノぉー、りいぃだああ、嵐…」って気持ちになってしまって。(圧倒的説明不足)
untitledの中でJunctionは誰が書いたのか明かされていなくて。それは話に上がらなかったってことじゃなくて、嵐の嵐会で聞かれてるのにも関わらずはぐらかされてて。
潤くんもJunctionの手直しは最後までやってたって言ってたから、時期的にも嵐へのメッセージも含み得るんじゃないかと思って考察してみました。
もちろんヲタクの曲解でしかないことはわかってる。
そういう意味じゃない可能性の方が高いことはわかってる。
でも潤くんも「このコンサートには自分なりのタイトルを入れて初めて完成する」って言ってたし、untitledを基にしたフィクションだと思って読んでもらえれば。
さて、Junctionを分析するにあたってとりあえず書き起こしてみたんですけど、文字にしたら見えてくるものがたくさんありました。
知らない人はとりあえず読んでみてください。コンサートのつなぎの映像のセリフです。
出逢い
櫻井 これは、ある一人の旅人の言葉。人と人はどうやって出会うのだろう。街を歩けば人とすれ違うけれど、それは出会いではない。必然か?それとも偶然か?
松本 出会いには、きっとタイミングがあるんだ。歯車が噛み合うように。点と点が線になって交わるように。それは、とても自然なこととして。そしてもっと知りたくなるんだ。互いのことを。
二宮 共に過ごす時間の中、楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、悲しいこと。その中に愛は詰まっている。
相葉 日常の小さな一つ一つが人を作っていく。誰かに影響を受けて、知らず知らずに変化していく。その隣には、あなたがいた。
大野 ありがとう、君といた全ての奇蹟に。さあ、次はどんな景色を見ようか。
愛相葉 星の数ほどと言うけれど、その中で出会ったあなた。見つけてくれて、ありがとう。
大野 生まれてきたことに意味があるとしたら、それはあなたに出会えたこと。僕は、何ができているかな。あなたの前では無力でちっぽけな人間になってしまうんだ。それでも、小さな力を振り絞って、あなたを守る。
櫻井 夢を見たんだ。君の夢を。君は笑ってた。
二宮 僕は思うんだ。この世界が終わろうとも、君を失いたくない。この星たちのように生まれ変わってもまた巡り会おう。
松本 だから心配しないで。僕らの時間をつないで行こうよ。信じるままに。
別れ二宮 出会うべくして出会い、感じるべくして感じたはずなのに、別れは突然やってきた。あの時こうしていれば…もっとできることがあったのかも…
相葉 見たい景色があった。いろんな顔が見たかった。一緒に過ごしたかった。そんな言葉が今も頭の中にこだまし続けている。
大野 どれだけ後悔しても、時間は戻らない。
松本 色彩を失ったこの世界は、何を着て街を歩いても、人の顔がぼやけていて、誰かと食事をしても、まるで味気がない。凍えるほど冷たい世界だ。
櫻井 今もまだ、あなたが去っていったこの場所から動けずにいる。
未来松本 随分と、長く歩いてきた。決してまっすぐな道ではなかったけれど、振り返ると様々な景色が浮かんでくる。
大野 光り輝き、色褪せない記憶。そのどれもが愛おしく感じる。
相葉 この先にはどんな道が続いているのだろう。
櫻井 まだ見えない未来。どんな出会い、どんな別れがあるかわからないけれど、思いのままに歩いて行こう。
二宮 まだ旅は続いている。
とっても素敵な言葉たちなんですけど、つながりに違和感がありません?同じテーマに沿って話しているけれど、5人がそれぞれ違うところで話しているのをつなぎ合わせたような。話し手が変わると温度もちょっと変わる。
しかしこの違和感を隠し切った嵐すごいな。
なぜ、私達はこの違和感に気づかなかったのか?
それは音が、映像が、暗闇が、コンサートという雰囲気が、嵐5人の声色が私たちの関心の先だったから。文章の構成の違和感は、たくさんの刺激にかき消されていた。
加えて、今話しているところしか画面に移されなかったというのもある。私達はその場の音を聞いてその場の映像を見て今読まれた言葉の意味を考えるだけで精一杯で、1つ前との関連を考える余裕なんてなかった。
演出による意識操作ですね。カモフラージュです。
これって、マジシャンの手法なんですよ。こんなことできるなんて嵐にマジシャンいるんじゃないの?あとそれを応用できる演出の鬼がいるんじゃないの?…いるー!二宮和也ー!松本潤!そういや翔くんもマジックバーに行ってるって言ってたな…
言葉の書き起こしを見て私は「これは5人の言葉それぞれを切り貼りしたものではないか」と思いました。
だって二宮くんのセリフ、めっちゃ二宮節を感じるんだもん。翔くんのセリフからも櫻井イズムを感じるんだもん。
ということでメンバーごとに分けてみました。
(このあともう一回考察して書きなおすのでお時間ない方は飛ばしてください)
櫻井
これは、ある一人の旅人の言葉。人と人はどうやって出会うのだろう。街を歩けば人とすれ違うけれど、それは出会いではない。必然か?それとも偶然か?
夢を見たんだ。君の夢を。君は笑ってた。
今もまだ、あなたが去っていったこの場所から動けずにいる。
まだ見えない未来。どんな出会い、どんな別れがあるかわからないけれど、思いのままに歩いて行こう。
松本
出会いには、きっとタイミングがあるんだ。歯車が噛み合うように。点と点が線になって交わるように。それは、とても自然なこととして。そしてもっと知りたくなるんだ。互いのことを。
だから心配しないで。僕らの時間をつないで行こうよ。信じるままに。
色彩を失ったこの世界は、何を着て街を歩いても、人の顔がぼやけていて、誰かと食事をしても、まるで味気がない。凍えるほど冷たい世界だ。
随分と、長く歩いてきた。決してまっすぐな道ではなかったけれど、振り返ると様々な景色が浮かんでくる。
二宮共に過ごす時間の中、楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、悲しいこと。その中に愛は詰まっている。
僕は思うんだ。この世界が終わろうとも、君を失いたくない。この星たちのように生まれ変わってもまた巡り会おう。
出会うべくして出会い、感じるべくして感じたはずなのに、別れは突然やってきた。あの時こうしていれば…もっとできることがあったのかも…
まだ旅は続いている。
相葉
日常の小さな一つ一つが人を作っていく。誰かに影響を受けて、知らず知らずに変化していく。その隣には、あなたがいた。
星の数ほどと言うけれど、その中で出会ったあなた。見つけてくれて、ありがとう。
見たい景色があった。いろんな顔が見たかった。一緒に過ごしたかった。そんな言葉が今も頭の中にこだまし続けている。
この先にはどんな道が続いているのだろう。
大野ありがとう、君といた全ての奇蹟に。さあ、次はどんな景色を見ようか。
生まれてきたことに意味があるとしたら、それはあなたに出会えたこと。僕は、何ができているかな。あなたの前では無力でちっぽけな人間になってしまうんだ。それでも、小さな力を振り絞って、あなたを守る。
どれだけ後悔しても、時間は戻らない。
光り輝き、色褪せない記憶。そのどれもが愛おしく感じる。
ねえ!こっちじゃない!?
でもやっぱり不自然さは残る。
そこでもういくつかの仮説。
1つは「私達はuntitledにちなんだ言葉を書いてくれていると思っていたけど、その逆ではないか?」「歌詞のフレーズを使っているところは切り貼りの不自然さを隠すためのものではないか」ということ。
もう1つは「順番を入れ替えて接続詞をカットしたんじゃないか」ということ。5人の言葉をそのまま使いながらつながりを整えるにはそれが1番良いからね。
個人的な勘だけど、多分言葉を足しただけで削ってない気がするんだよね。潤くんの「色彩を〜」のフレーズは付け足しかな?って気もするし翔くんの「これは、ある一人の旅人の言葉。」というのもカモフラージュのためかな?とも思う。
ということで並べ替えて補ってみました。
ここら辺から本当に創作色強くなってくるのでそれを念頭にご覧ください。
大野’
生まれてきたことに意味があるとしたら、それはあなたに出会えたこと。
僕は、何ができているかな。あなたの前では無力でちっぽけな人間になってしまうんだ。それでも、小さな力を振り絞って、あなたを守る。
どれだけ後悔しても、時間は戻らない。(でも、だからこそ)
光り輝き、色褪せない記憶。そのどれもが愛おしく感じる。
ありがとう(、君といた全ての奇蹟に。さあ、次はどんな景色を見ようか。)
相葉’
見たい景色があった。いろんな顔が見たかった。一緒に過ごしたかった。そんな言葉が今も頭の中にこだまし続けている。
この先にはどんな道が続いているのだろう。
日常の小さな一つ一つが人を作っていく。誰かに影響を受けて、知らず知らずに変化していく。その隣には、あなたがいた。
星の数ほどと言うけれど、その中で出会ったあなた。見つけてくれて、ありがとう。
二宮’
(出会うべくして出会い、感じるべくして感じたはずなのに、)別れは突然やってきた。あの時こうしていれば…もっとできることがあったのかも…
共に過ごす時間の中、楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、悲しいこと。その中に愛は詰まっている。
(でも、)まだ旅は続いている。
僕は思うんだ。この世界が終わろうとも、君を失いたくない。この星たちのように生まれ変わってもまた巡り会おう。
松本’
(色彩を失ったこの世界は、何を着て街を歩いても、人の顔がぼやけていて、誰かと食事をしても、まるで味気がない。凍えるほど冷たい世界だ。)
(でも、)出会いには、きっとタイミングがあるんだ。歯車が噛み合うように。点と点が線になって交わるように。それは、とても自然なこととして。そしてもっと知りたくなるんだ。互いのことを。
随分と、長く歩いてきた。決してまっすぐな道ではなかったけれど、振り返ると様々な景色が浮かんでくる。
だから心配しないで。(僕らの時間をつないで行こうよ。信じるままに。)
櫻井’
(これは、ある一人の旅人の言葉。)人と人はどうやって出会うのだろう。街を歩けば人とすれ違うけれど、それは出会いではない。必然か?それとも偶然か?
夢を見たんだ。君の夢を。君は笑ってた。
(今もまだ、あなたが去っていったこの場所から動けずにいる。)
まだ見えない未来。どんな出会い、どんな別れがあるかわからないけれど、思いのままに歩いて行こう。
うおお涙涙。
この五人の言葉を見て思うのは5人は「嵐への手紙」を書いたんじゃないかということ。
私、嵐の5人の言葉はとても信頼しているけど休止発表の会見での言葉で1つだけ疑っているところがあって。それが「2017年6月から」ってところ。だってどうしたってあの嵐が一年で結論を出したとは思いにくい。もう少し前から話していて、嵐以外の人に相談し始めたのが2017年6月じゃないかと思う。ニノの誕生日前日の話をしてたから、リーダーが切り出したのは6月なんだろうけど、もう何年か前の6月ではないか?
多分、2017年6月からの1年間は「嵐を休止する」ってことは決まってて、「いつ休止にするか」の話し合いや嵐スタッフへの説明の1年間だったんじゃないかと。
だってuntitled、嵐の幕引きを踏まえて作られてる気がするんだもん。もう5人の中に休止が決定事項としてあったんじゃないかと思うんだもん。
で、じゃあ仮に嵐がuntitled作る頃には、休暇の時期はともかく嵐の活動休止が決まってたとしよう。
なぜ彼らは嵐への手紙をコンサートに入れたのか?別に黙ってても良かったはず。
聡い彼らのことだ。完璧に隠すことだって難しくないだろう。
それをあえて、嵐のこれまでを振り返り、「つないで行こうよ 最高のfinale」と歌った。
なぜか?
それは、このコンサートは「Dear ARASHI」コンサートだったからではないかと思う。嵐に捧げるコンサート。今まで頑張ってきた嵐の記憶を、軌跡を、共に歩んできた仲間への感謝を、彼らは作品にしたのではないか。
全くもって憶測だけど、嵐を休止するとなったら最後のコンサートはファンへの感謝になるだろう。ならば「嵐のための」コンサートを作れるのは2017年しかなかった。
もちろんファンからお金をもらって、来てくれたファンのためにやるコンサートだから、「嵐のための」コンサートをやるのはご法度だ。だから、コンサートの本当のコンセプトは明かされず、無題、すなわちuntitledとなった。
でも、「嵐のためでもある」コンサートを作るのは何も悪くない。「ファンへのコンサートであると共に、嵐のためでもあるコンサート」を彼らは目指したのではないか。
これまで頑なに振り返ることを拒んできた嵐が「untitled」を作り上げたのはこういった背景があったからでは?
ファンに嵐の可能性を問うと同時に、これまでの嵐への感謝も込めてuntitledは作られた。そういう気がしてならない。
なんてね。
九割九分九厘私の妄想です。
「えええ嵐活動休止だってえええ!!!」というぐらぐらメンタルで、untitledを見てしまった一ファンの曲解でしかない。
(でも、もし嵐が「活動休止発表後に1番見られる可能性が高いのはuntitledだ」ということを念頭に嵐の未来をコンサートで扱っていたとしたら…?
どこまでが彼らの策…?そもそも、嵐は何も考えていない可能性だって十分にある。)
はあ楽しかった。ヲタク魂がうずいたぜ!
なんか昨夜NEWSコンの考察を見てしまって「おおお!私も考察したい!」と思ってノリで書きました。
1つの楽しみ方として「これは嵐へのメッセージなのでは?」と思いながら歌詞をたどるのも良いです。
でも絶対的な解じゃないからね!信じないで!
「そうとも取れる」コンサートを作ってくれた嵐に感謝です。
では。