「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

わあ好き!と思った事を書き殴るための場所です。書いた私も「正しさ」は信じていません。

「ホタル」徹底解釈という名の曲解

KinKi KidsのNアルバム収録曲「ホタル」が大好きすぎて書いた記事です。

 

「ホタル」は初めて聴いた時から「なんだこれ…すごい曲を聴いてしまった…」と衝撃を受け、そこから何度も何度もリピートして聴いた曲です。KinKi Kidsの王道ではないかもしれないけど、KinKi Kidsじゃないと歌えない、本当に素敵な曲。

電車とかで聴くときは表向きは真顔を保ちますが、心の中では毎回大号泣してます。こんなに泣いてしまう曲が他にあるだろうか。

この曲を何度も聴いているうちに、自分の中で歌詞の解釈が定まってきたので書いてみようと思います。私は歌詞からストーリーを想像するのが好きで、毎回いろんなものを重ね合わせて曲を聴くタイプなのですが、ホタルの解釈も何度もした結果、「これが一番好きかな」と思えるものに出会えたので。

もちろん人の数だけ解釈があると思うし、解釈せずそのまま聴くのが好きな人もいると思います。

あくまで、私の聴き方です。ご興味ある方のみどうぞ。

 

とはいえ歌詞を知らなければ解釈には入れないので、歌詞を載せます。最初は普通に載せるつもりだったんですが、一回書いたら「ここが良いよね!」「ここの歌い方好き!」などが溢れて止まらなかったので、私の「ホタル泣いてしまうポイント」も書きました。完全に蛇足です、すみません。

まだ聴いたことないという方は是非歌詞を見ながら聴いて欲しいです。

解釈だけ読みたいという方は後半までザッと飛ばしてください。

 

 

 

ホタル泣いてしまうポイント

 

イントロ

泣く。コンマ2秒で泣く。悲しくて淡くて深くて泣く。あんなコード、泣くしかない。この後ハッピーラッキーな歌詞が出てこようがこのイントロだけで一曲泣いていられる。

 

夏祭り

泣く。まだ夏祭りとしか言ってないのにこの五音で夜だなってわかる。天才。

 

の川のほとりで 行き帰りの人を仰ぐ
破れたスニーカーで 未来はぼんやりして

スニーカーが破れてる…未来がぼんやりだと…不穏な空気…泣き止めない…

地味にこのメロディー光一さん1番しかないので心して聞くように。

 

今年もまた会いに来ました 魂だけがホタルになって

おつよしさま!!!!!!!!号泣!!!!!!!剛さんが歌う敬語が大好きなんです!!!

魂だけか…もう死んじゃったの…?泣く。

 

ただ認められたくて ただ許して欲しくて

泣かない意味がわからない。認められることも許されることも叶わずに死んでしまったなんて…

 

すれ違う幼い子を抱えた母と
遠くから聴こえてくる 夕暮れの鐘

子守唄でさすりながら 母の胸で泣いたよ

こんなに優しい慟哭がありますか?声が泣いてる。泣く。

 

風に吹かれ またどこかへ
誰かを探してるホタルが飛んでいる

「誰かを探してるホタル」が飛んでいる、わけではないんだよな、パート分け的に。後で考察します。

 

ボーダーになった心の闇は 日々の愛やら憎悪やらで
毎日スライスしてやがて透き通るのかな

剛さんの十八番、「縋るような問いかけに見せかけた反語」。いっそう強い否定が浮かび上がって見えて、そんな今が変わる未来を夢見る気持ちが伝わってきて、泣いてしまう。

 

夕立の後に歌う 蝉のこだまは
新しい死者が残す 祈りの声か

本当に悲しいことを、その傍観者として淡々と歌い上げるのが本当に似合うんだ、光一さんは。泣く。

 

生きる意味を奪い去られ 飛び立ってしまったよ
そこにはただ抜け殻だけ
踏み潰されてゆく

ここの声のイメージは、なぜだか分からずに涙がにじむ光一さんと、悲しいのに一滴も涙が浮かばない剛さんという感じです。そんなの泣いてしまう。(私が)

 

澄んだ水で泳ぐ魚
氷の上を滑るペンギン
大草原に眠るライオン
僕らのパラダイス(楽園)

どこに行けば あるのだろう 天国かな それともただ

ソロパートで歌いつないで歌いつないで、からの「それともただ…」がもう切ない。語尾に薄れて読みにくくなってしまった疑問符が見えるかのような歌い方。天才。

 

母の背中で聴かされた あの幼い子供の 子守唄に揺られながら
海へ続く川に ホタルが消えてゆく

いやあ歌詞がいい。メロディーがいい。ホタルが消えてしまう…泣く。

 

 

解釈

さて、歌詞の解釈です。(前置きが長い)

(私の考えでしかないので、「そういうのはちょっと」という人はご遠慮下さい。)

この曲はとにかくパート分けがすごいと思っていて。1人で全部歌う場合と、KinKi Kidsが歌うようにパート分けした時で、物語がガラリと変わるんですよ。

私がこの解釈を考えたのも、「歌詞だけ見ると普通に一続きの歌詞とも取れるけど、これは実は二つの視点から見た世界を並べたものなんじゃないか?」っていうのがそもそもの始まりでした。

説明に剛さん、光一さんの名前を使っていますが、本人とは関係ありません。(当たり前ですが)

剛さんパートの視点、光一さんパートの視点という意味です。役名をつけても良かったんですが今回はそのままいきました。

ホタルって本当にパートわけが天才。最後まで読んでいただけたらそれを実感していただけるのではないかと思います。

では以下、私の解釈です。

 

 

 

剛さんパート:

生前、許されることもなく認められることもなく死んでしまった魂。死者の世界を生きている。

許されることを完全に諦めていたため、未練なしと判断され成仏が成功してしまい、輪廻転生した。生まれ変わったのが光一さん。

ただ、押し込めたはずの罪の意識と未練が成仏できず、毎年夏祭りになると、魂だけ蛍になって現世を彷徨う。

「剛」としての意識は全てホタルが持っていて、光一さんは全くの別人。

許されたい一方で、自分が「許される」ことなどあるはずがないと信じているため、事件の該当者には全て許されているのにも関わらず、自分を許せていない。そのため自分に許されず「許されていない」思いを強めている。

自分に許されることでホタルは成仏できる。

深層心理は「自分に許されたい」のため、“自分”の象徴である光一さんに会いに来るが、なぜ毎年光一さんに会いに来るのか自分ではわかっていない。剛さんとしては自分の生まれ変わりとして生きる人間が自分の罪によって苛まれていないか見に来ている、という意識。

 

光一さんパート:

剛さんだった魂の生まれ変わり。今、現世を生きている。剛さんの記憶がうっすらとある。ただし自分ではなんの記憶なのかは理解していない。

毎年夏祭りに来て、ホタルを眺めている。剛さんの魂であるホタルは光一さんにしか見えていない。

剛さんの魂が全て成仏できていないため、剛さんの魂の生まれ変わりである光一さんは、本来ならまだ存在してはいけない人間。現世では光一さんとホタルの2つの生命体が剛さんの魂を持ってしまっている、分霊箱状態。

光一さんは、ホタルになった魂が成仏して初めて完全な人間になることができる。しかし、完全な人間になると前世である剛さんの記憶が消える。

光一さんが見送らないと剛さんのホタルは成仏できないが、そのことを剛さんは知らない。

光一さんは、誰かの前世の記憶があることは気づいているが、前世が毎年夏に会うホタルと同一人物であることを、光一さんは知らない。

 

 

 

 

この解釈で歌詞を見るとこうなります。

光一さんパートが赤、剛さんパートが青、2人のパートは紫です。

 

 

(光一)夏祭りの川のほとりで 行き帰りの人を仰ぐ
破れたスニーカーで 未来はぼんやりして

光一さんが夏祭りにやってきた。未来が見えないのは、光一さんがまだ完全に生まれ変わり切っていないから。

(剛)今年もまた会いに来ました 魂だけがホタルになって
ただ認められたくて ただ許して欲しくて

剛さんもホタルとなって、夏祭りにやってきた。

 

すれ違う幼い子を抱えた母と
遠くから聴こえてくる 夕暮れの鐘

光一さんが持っている、剛さんの幼少期の記憶。

 

(剛・光一)子守唄でさすりながら 母の胸で泣いたよ
風に吹かれ またどこかへ

剛さんにとっては自身の思い出、光一さんにとっては経験したことがないはずなのに胸に宿る感情。

 

誰かを探してる

ホタルは許されたい人を探して飛ぶ。

ホタルが飛んでいる

ホタルを眺めている光一さん。

 

ボーダーになった心の闇は 日々の愛やら憎悪やらで
毎日スライスして やがて透き通るのかな

自身の死から時が経つほどに、自分の罪の意識が薄れていくことに恐れ慄く剛さん。けれども、それをどこかで望んでいたことにも気付く。

 

夕立の後に歌う 蝉のこだまは
新しい死者が残す 祈りの声か

夏になると、自分に近いところで死者を感じ取る光一さん。

 

生きる意味を奪い去られ 飛び立ってしまったよ
そこにはただ抜け殻だけ
踏み潰されてゆく

ここで「生きる意味を奪い去られ飛び立ってしまった」のは蝉ではないかと思う。この「蝉」とは未練なく死んでいった、普通の死者の象徴。ホタルと対照的な存在。命が死んでいきその抜け殻が踏み潰されていくのは一見残酷に見えるけれど、実はとても自然なこと。そうやって世界は回っている。むしろ不自然なのは、剛さん(の身体)が死んだ後も消えなかったホタルの方だった。

 

澄んだ水で泳ぐ魚
氷の上を滑るペンギン
大草原に眠るライオン
僕らのパラダイス(楽園)

どこに行けば あるのだろう 天国かな それともただ

2人の感覚・記憶がリンクしているところ。2人の声が代わる代わる一つの文章を歌い上げていることからわかる。

「それともただ」に続くのは一体何か。現世なのか、存在しないのか。そこに続く言葉を紡ごうとして、ホタルは気付く。剛と光一にとって楽園とは「ホタルが消えること」なのではないか、と。剛の成仏が妨げられているのも、光一を完全な人間にできないのも、ひとえにホタルの存在のせいなのだから。

同時に、ホタルにとっての楽園は「自分に許されること」である、ということにも気づく。「自分を許す自分」を認めなければならない時が、もう来ている。

 

母の背中で聴かされた あの幼い子供の 子守唄に揺られながら
海へ続く川に ホタルが消えてゆく

この時にはもう、剛の意識はホタルから抜け出し、「剛」として成仏しかけている。現世からは光一さんが、死者の世界からは剛さんが見つめる中、ホタルが1匹、消えていく。

 

つまり、剛さんはなんらかの罪を犯し、その罪悪感で成仏できず魂がホタルとなって彷徨っていた。一方で、剛さんは「許されたかった」のではなく「許しを乞うていたかった」。まだ許されたくなかった。「許してください」って言っていたかった。完全に成仏できず「許されずに彷徨う」という罰を受けているような状態を望んでいた。自分の罪はまだ償い切れていないと思い込んでいたから。

しかし光一さんを通して自分自身を見つめ直すことで「自分に許されたかった」ことに気づく。そして「自分は許されてはいけない存在」という思い込みを解き、自分自身を許すことで甘い呪縛から解かれ、ホタルは消えていった。それによって、本当の「剛から光一への生まれ変わり」が完了する。そういうお話なのではないかと。

吉井さんが「この曲は剛寄り」と言って下さったのもわかる気がする。

 

 

 

もちろん何万通りもの解釈があると思うけど、私はこの解釈で聴く「ホタル」が一番好きで。

もしまだホタルの好きな解釈に出会えてない方がいたら、こんな解釈もあるって教えたいなと思ってこの記事を書きました。

 

吉井和哉さんもKinKi Kidsも天才だな…(知ってた)

 

 

一曲について4500字以上も書いてしまった…

こんなグダグダと長い記事をお読みいただきありがとうございました!!