「美しい」を定義する前に世界が美しいものであふれて困る

わあ好き!と思った事を書き殴るための場所です。書いた私も「正しさ」は信じていません。

大野智は褒めにくい

少女漫画みたいなタイトルになってしまった。

『大野くんはほめにくい!』みたいな。

 

いやでも、ほんっとうに褒めにくいんですよ、大野さん。

「歌上手いとか踊り上手とかあるじゃん!」って声もあるかもしれない。でも違うんですよ。そんな簡単な言葉じゃ収まらないすごさがあるのに全然上手く言えないの。

だからもう上手く褒めるのは諦めて、何がどうすごいか言語化しようとするのではなく、「なぜ大野智は褒めにくいのか」を書くことにしました。

 

 

さて、そもそも「存在しないことになってるから褒められない作業」ってあるじゃないですか。

マジシャンのタネの仕込みの手さばきの美しさとか、着ぐるみの中の人の筋トレとか。

彼らは「手品」や「ショー」を見せたいのであって裏の努力を見せたいわけではない。というか、むしろ努力の存在を知られてはいけない。だから、例えば着ぐるみに「今日のために筋トレ頑張りましたか?」なんて聞いても答えてくれるわけがない。「そんな不躾なこと聞かずにショーを楽しめ」って感じになる。

どんなに頑張っているのが伝わっても、そこは言わないほうがいいところだから。

大野智もそんなイメージです。彼は「才能を磨いている姿」を見せたいのではなく、「磨かれた才能」を私たちに見せようとしてくれます。

もちろん、「才能を磨いている姿」を魅せるという道もあります。「ショーが作り上げられていく様子」がパフォーマンスになることもあります。それは全く否定しない。素晴らしいエンターテイメントだと思います。

ただ、大野智の美学は少し違うところにあるのだと思う。彼は素晴らしい歌を届けるために、綺麗なダンスを見せるために人知れず努力する。努力を褒められたいわけではなく、あくまで才能を磨く手段として努力している。そこを「こんなに努力してるなんてすごい!」なんて言っていいのかなと思う時が正直あります。

そうすると、結局「歌上手い」「踊りが上手い」という散々言われまくっている褒め言葉に落ち着くわけです。

大野さんについて語るときだけ語彙力落ちてるわけじゃないから!いろいろ言いたいんだけど「言語化する」ことすらあなたの美学から外れているのかなと思う時もあるからいつも同じ言葉を使ってしまうだけなの。

 

もう1つは、早くから才能を磨いてきた人のジレンマなんだけど「上手くなったね」って言えないことです。

だって大野智に直接「前より上手くなったね」って言える人がどこにいます?

何様だよって感じじゃないですか。初めて見たときの大野くんだって「すごい」って言葉しか出ないほど素晴らしかったのに、「上手くなったね」だなんて。何目線ですか。

大野智はデビュー当時からメインボーカルとして嵐を引っ張ってきてて、ダンスも上手くて。「1番すごいのは大野くん」みたいなところがあった。今もあるかな。

でもそれってすごいプレッシャーだったんじゃないのかな。常に「1番上手くなきゃいけなかった」わけだから。「リーダー」という立場を背負っていた節もあるのかもしれないな。

他の4人だってえげつないスピードで上手くなり続けていくのに、それでも「やっぱリーダーはすごいよ」と言われ続けるためにはどれほどの努力が必要だったのだろう。

もう私は音感もないレベルのど素人なんであえて恥を忍んで言いますけど、大野くん、めちゃくちゃ上手くなってるんですよ。いろんなことが。ずっと、ずーっと才能を磨き続けてきてくれたことがわかるんですよ。それも、求められているからではなく、自分が納得できるようになるために、ひたすらに磨き続けていることが。

あの4人が、20年かけてデビュー当時のリーダーに何も追いつけない訳が無い。しかし未だに「1番すごいのは大野智」と言われることの多い大野智は、あの頃からどれだけ上を目指し続けてきてくれたか知ってるか。

自分が納得できるまで努力し続けられるすごさがわかるか。

大野智の才能は進化し続けている。それは確かです。

しかしそれもまた、言いにくい。もともとすごかった人に「昔より上手くなったね」なんて失礼だと思っちゃう。

やってる側としては「昔からすごいよね」より「上手くなったね」の方が嬉しいんだろうなということは想像できるけれど。私が言われるなら「上手くなったね」の方が、昔から見てくれてて、技術とこれまでの努力を同時に褒めてくれたような気がして嬉しいけれど。

昔から才能を磨き続けてくれた人だからこそ起きるジレンマ。誰も悪くないのにこんなにも褒めるのが難しい。

 

さっき書いた「1番すごいのは大野智」という言葉も曲者で、どうしたって他の人と比べている感が出る。他の人は良くないって言ってるように聞こえてしまう。

そんなニュアンスは向こうだって嬉しくないだろうし、こちらとしてもそんなニュアンスを伝えたい訳じゃない。

大野くんが一番、「自分だけじゃなくて5人それぞれの良さを、5人のハーモニーを見て」って思うタイプなんじゃないかという気がするし。

ならば、そんなリスクのある言葉使いたくない。

 

こうして、大野くんを褒めるのに使える言葉が減っていく。

努力を声高に褒めるのも違う、進化を褒めるのも何様だって感じ、「一番すごい」はリスキー。

もう、私の中には「上手い」「すごい」「さすが」しか残ってない。

 

だからごめんね。今日も変わらず大野くんに同じ言葉を。言葉にならないありったけの想いを込めて。

 

「大野くんってすごいんだよ。」